日々、想う。んで、記す。

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コンピュータに育てられた子どもたち

アリソン・アームストロング / チャールズ・ケースメント『コンピュータに育てられた子どもたち』を読了。
コンピュータを教育に利用していくことについての否定的サイドの本。2000年出版です。でも、あながち「古い!」と切り捨てられてない状況もあったりして。今でもあまり内容は変わっていないかなぁ、と思うところもたくさんあります。
コンピュータもインターネットも、今の保護者達が子どもだった頃にはなかった技術、なかったサービスです。当然、それをどのように子どもの頃に使っていたのかという経験もない。その意味で、筆者が言っているコンピュータを使う教育は「壮大な社会実験」だ、というのは納得もします。

そして今や、最新技術は家庭や学校の中にも根ざし、思いもかけないところから子どもたちの教育を変容させつつある。今の子ども世代は、知らないうちに、「壮大な社会的実験」としか呼びようのないものに参加させられている。この実験により、教育システムの構造は根底から改革されることを余儀なくされ、それにともなって子どもたちが世界について学び、体験していく方法にも根本的な変化が訪れることは避けられない。(p.19)

ただ、だからと言って何もしないのは違うだろう。コンピュータもインターネットも、今までだったら「仕方ない」とあきらめざるをえなかったことをあきらめずにしてくれる(かもしれない)仕組みです。近所にいる人たちからメンターを探せなかった子たちが、ネット上でならメンターを見つけられるかもしれない。そういう可能性も考えてほしいな、と思う。
何でもかんでもコンピュータとネットを使うのは違う。でも、わからないからって使わないのも違う。「情報」なんて科目は、いずれなくなるでしょう。コンピュータやネットがリテラシーとして定着したら、いらなくなるからです。コンピュータやネットを使ってデータを分析したり、そこで感じたことを推敲しながら書きつけていったり、ネット上でのディスカッションを楽しんだり、そういう子たちがもっともっと増えてくるんじゃないかな、と思う。そして、そういう使い方をする活動が学校では増えてきて、特別な授業枠以外でも教えられるようになる。そんなふうになってほしいなぁ、と思います。あ、そうすると「情報」の授業の中身は、「表現」だとか「思考法」だとかを取り込んだ形になるのかもしれないけど。今でも、先進校はそういうふうになってますけどね。
この筆者たちが、今の状況を見てどんなことを言っているのか探したいな。軽くググってみた…が、わからない(笑)PAX Programの人は、同姓同名だよね?[→メモ:コンピュータに育てられた子どもたち]

コンピュータに育てられた子どもたち―教育現場におけるコンピュータの脅威を探る

コンピュータに育てられた子どもたち―教育現場におけるコンピュータの脅威を探る

  • 作者: アリソンアームストロング,チャールズケースメント,Alison Armstrong,Charles Casement,瀬尾なおみ
  • 出版社/メーカー: 七賢出版
  • 発売日: 2000/10
  • メディア: 単行本
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