日々、想う。んで、記す。

プライドを持たない、節操を持たない、愛着を持たない、弱音を吐かない。

「必要」から技術を学ぶ手法が必要

昨夜、体調が悪くて早めに寝たため、早朝4時30分起き。以前なら地獄起きだったところですが、最近は余裕。で、TVでEURO 2008の決勝スペインvsドイツを観戦。無敵艦隊スペインの44年ぶりの栄光ですよ!どう、この「無敵」なくせに「44年ぶり」という矛盾(笑)どんだけ敗北を知っている無敵艦隊なのか、と。今回もしれっとドイツが勝っちゃうだろうな−、と思っていたんだけど、スペイン完勝。
フェルナンド・トーレスすげー。パスが出たときには、前にディフェンスいたのに、追い越してパスを受けてしかもゴールにきちんと蹴り込むなんて…。日本にもああいうストライカーがいれば…。そのことについては、たまたま目を通したサッカー日本代表の「決定力不足」、原因は幼少から染みついた「形」への依存:ダイヤモンド・オンラインの記事がおもしろかった。ラグビーの平尾さんが、幼少期の頃のゲームへの接し方に原因がある、ということを分析。

ゲームに勝つには相手より点を多くとることだ。強豪国の選手はこの原理原則が体に染みついている。そうした国の選手の多くは物心がつく前の幼児期からボールに触れる。ルールは理解できないが勝ち負けぐらいは解かるから、大人は遊びの延長で子どもにゲームをやらせる。「あそこまでボールを運べば点になるよ」などと言って。そうすると、ボールを持って走る子もいる、前に投げる子もいる、キックする子もいる。自分が思いつく方法でボールをゴールまで運び、点を取る喜びや勝つ楽しさを味わうのだ。
(略)
強豪国の選手は、“遊び”のゲームから“スポーツ”としての正式なゲームに移る過程で、ルールや技術を覚えていく。大きくなれば相手も強くなるから、自分ひとりの力で突破しようと思っても止められてしまう。それでパスをすることを覚える。教わっていないから投げ方は不格好。ボールを相手に奪われることも多く、その失敗を教訓にして速く正確なパスを投げられるようになっていく。「必要」から技術を身につけ、プレーが洗練されていくのだ。

「必要」から技術を身につける、ということが大事なのは、たぶんスポーツの世界だけではない。教育で教える内容についても同じ。何かスキルを身につけさせたいときに、まず楽しさを与え、もっと楽しさを追求するためにどんな技術が必要になるのかを教える。この順番が大事だ、と思うのです。