日々、想う。んで、記す。

プライドを持たない、節操を持たない、愛着を持たない、弱音を吐かない。

こちらもおひさしぶりの方と再会

横浜から急いで都内へ帰ってきて、神保町でわか様と待ち合わせ。カレーを食べながら、いろいろと話す。数年前に一緒に経済教育の教材を作っていた頃の仲間*1でした。いろんなテーマで話をしましたが、うわーって僕が言いたいことを言った後で、じっくり考えつつ「ちょっと今、考えてるからね」と口に出してくれるのが、当時のままで本当に懐かしかったです。ああ、この仕草、好きだった!って。経済、政治、文学、メディア、幅広く何でも知っている感じ。博覧強記。心強いし、楽しい。こういう会話、大学生の頃よくやったなぁ、って。いま、あまり職場ではしない種類の会話。楽しい。刺激される。スイッチがたくさん押される。
今回、会ったのは、わか様のmixi日記がきっかけ。Perfumeについて「最近気になって仕方ない」と書かれていて、そこから「欲望のエデュケーション」というキーワードを出されていました。これに引っかかっちゃったんだよねー。

 例えば、日本の自動車メーカーが作る大衆自動車の水準は非常に優れていて、国際競争力がある。なぜかというと、そもそも本国の消費者が大衆自動車に求めている要求水準が高いからだ。だからこそ、日本の自動車メーカーはそれに応えようとするし、それが日本車の国際競争力を高める。
 こういうのを、その国の消費者の「欲望の水準が高い」という。

わか様はここに「活字文化に対する欲望の水準」を問題として捉えているけど、僕は「社会に対する欲望の水準」を気にしているのかも。自分の行く末とか夢とかそういうのが全部乗っかっているのは日本という国のあり方であり社会全体。そして、社会を良くするのは政治や経済。でも、政治を本当に実現可能性とか長期的なゴールとかまで考えて投票してたりする人が、残念ながらそんなに多くないんじゃないかと思うんだよね。「誰がやっても一緒でしょ」みたいなあきらめムード。この人なら!と言えるリーダーがでないから、あきらめる。これが欲望の水準の話だと思う。「大人になんてなりたくない」とかも、かっこいい大人がいないことによる欲望の水準の低下かも。
帰り、三省堂の中を2人で歩いて、いろいろディスカッション。こうして本屋の棚を前に、いろいろ話をするのも、大学生協でよくやったなぁ。「これはおもろい」とか教えてくれて、「さらにこれと対比して読んだら最高や」みたいなアドバイスもくれて*2。楽しかったっけなぁ。ああ、そうか。これが僕が下の世代に教育環境として与えたいことのひとつだ、と思った。

*1:というのはおこがましいか。僕らのご意見番的な役割だったのかな。

*2:なぜ関西弁かというと、和歌山出身の真一がだいたい、この話の相手だったか。本当によく生協で会った気がする。