日々、想う。んで、記す。

プライドを持たない、節操を持たない、愛着を持たない、弱音を吐かない。

<癒し>のナショナリズム

小熊英二・上野陽子『<癒し>のナショナリズム 草の根保守運動の実証研究』を読了。小熊英二先生によるナショナリズムのケーススタディとしての「新しい歴史教科書をつくる会」研究。おもしろかった。あんなに若者を巻き込んだ運動だったけど、しぼんじゃった過程とかも分析されてます。つくる会が「右」よりも「左」を忌み嫌う理由として、「左」の言葉がずっと実感できない言葉だったからじゃないか、ということが挙げられてます。

なぜ、彼ら(「つくる会」)は「右」よりも「左」を忌み嫌うのか。それは、冷戦後における「左」の失墜だけが原因ではない。おそらく最大の理由は、彼らが漠然と「戦後民主主義」や「リベラル」といった形容で総括する「左」の言葉こそが、現在の日本の「体制側」の言葉、もっと俗な表現をすれば「大人のきれいごと」とみなされているからだと思われる。マスメディア上や公式発言のレベルでは「左」の言葉があるていどの勢力を得てはいても、日本社会の実態が「戦後民主主義」の理想とはほど遠いことは誰でも知っている。そのなかで空洞化していかざるをえなかった「左」の言葉は、もはや若年層の大部分にとっては、社会において実感できない言葉、学校や本でのみ教えられる言葉、いいかえれば「教師の建て前」としか感じ取れなくなっているのではないか。(p.35)

ナショナリズムとか保守とか、昔は大嫌いだった思想だけど、仕事をするようになってから、「それはあまりに純粋で真っ直ぐすぎたな」と思ってたりします。勉強したい思想だ。[→メモ:<癒し>のナショナリズム]

“癒し”のナショナリズム―草の根保守運動の実証研究

“癒し”のナショナリズム―草の根保守運動の実証研究