日々、想う。んで、記す。

プライドを持たない、節操を持たない、愛着を持たない、弱音を吐かない。

麻布中の先生たち、おもしろいなあ(山下洋輔の「私の履歴書」から)

今月の日経の「私の履歴書」は、山下洋輔。これが何だかとてもいいです。今週分をまとめ読みしていたのですが、中学2年生から麻布中学に編入。この学校が飛び抜けてユニークだった、と。先生に議論をふっかける生徒がいたり、数学なのに音符を黒板に書いて歌を歌わせる先生がいたり。おもしろいなあ。山下洋輔自身は、在学中からジャズバンドを結成し文化祭に出演、大受けだったらしい(6月3日版)。

勉強をしている様子もないのに東大に入ってしまう同級生を何人も見ていたこの時期に、ぼくは自分の人生を決めたのだと思う。(6月3日版)

ああ、そういうのってありそー。実におもしろいコメントだと思います。

数学の北原知彦先生は、新任だったので我々の世代があだ名を付けたが、それは「ガウス」というものだった。この先生からは特別の影響を受けた。高2の時に担任になり、ジャズにのめり込んでいるぼくとよく話をしてくれた。曲を作って見てもらい、「これが君の音だね」と指摘してくれたのにはとても勇気づけられた。(6月4日分)

先生にあだ名を付けて代々継いで行く、っていうのは灘とかにもある伝統みたいだね。でも、こうして「これが君の個性だ」と認めてもらえることって嬉しいよなあ、きっと。

音楽の先生は芸大チェロ科卒の廣田幸夫先生だった。自由課題の試験で即興でピアノを弾いた。ジャズとも何ともつかぬディミニッシュコードを多用した速いテンポの曲だった。先生は頭を抱え「これはおれには分からん。点がつけられん。分かるものをやってくれ」と言った。そこで独習していたバッハの「二声のインヴェンション第1番」を弾くと最高点がついた。世の中に分かってもらうとはこういうことだ、という教えだったのかもしれない。(6月4日分)

さらに、こうして「わからん」と認めてくれる先生。こういう先生こそ信頼できると僕は思うし、わからないのならば「一緒に考えよう」と言えるような先生に、僕はなりたい。