日々、想う。んで、記す。

プライドを持たない、節操を持たない、愛着を持たない、弱音を吐かない。

一神教における争いがなくなるには?

井沢元彦『ユダヤ・キリスト・イスラム集中講座 宗教紛争はなぜ終わらないのか』を読了。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教のそれぞれについての説明と、それぞれの宗教の信者の方のインタビューが収録。いちばん「ほほー」と思ったのは、自分からは今のところいちばん遠いイスラム教の方のインタビュー。インタビューを受けていたのは、ムサ・モハメッド・オマール・サイート氏(当時、スーダン共和国駐日特命全権大使)。インタビュアーの井沢元彦さんも言っているけど、(1)「宗教の争い」という言い方を極力避け、それを政治や体制の問題ととらえる。(2)イスラム教以外の宗教に対して非常に寛容。っていうのが際立ってるなあ、と。
それと、「おお!」と思わず思ったのは以下のくだり:

もし神がすべてイスラム教になるべきだと考えているならば、今の世界はすべてイスラム教徒になっている。そうなっていないということは、それも神様の思し召しである。つまり、他の宗教にも存在意義があるということになるわけです。(略)
オマール氏の言う通り、「神様がそういうふうにしたのに、私たちがどうしてこれを1つにしなくちゃならないのか」とみんなが思うようになれば、そのための争いもなくなります。将来的に一神教における争いがなくなるためには、そういった考え方が主流になることが必要なのかもしれません。(p.271)

これくらいに大らかに構えていないと、そもそもいろんな対立とかって乗り越えられないのかなあ、と思う。(といって、解決のビジョンが見えるわけでもないけど)みんなが、信じたいものを信じて、幸せになる(というか、不幸が減る)のであれば、それだけで宗教(や信条)は意味がある、と思うのだよなあ。

ユダヤ・キリスト・イスラム集中講座 宗教紛争はなぜ終わらないのか

ユダヤ・キリスト・イスラム集中講座 宗教紛争はなぜ終わらないのか