日々、想う。んで、記す。

プライドを持たない、節操を持たない、愛着を持たない、弱音を吐かない。

ゲームと学習に関する研究開発グループ

ゲームと学習に関する研究開発グループの第2回目研究会でした。海外でのセミナー報告会からの、それぞれの問題意識出し。みんなすごい勉強してんなー。社会とアカデミズムの距離、もっともっと縮まればいいのに。お互いに得るものは大きいよ、ほんと。
Quest to Learnとか、勉強したいものたくさん。

New York City's Quest to Learn Charter School: Rethinking Learning | MacArthur Foundation
あと、話題の中でモノポリーの歴史が出てきたので、調べてみた。なるほどー、おもしろい。以下、Wikipediaから引用。

モノポリーの原型は、ジョージズムの支持者が政治や教育上の試みとして制作していたThe Landlord's Gameで、モノポリーが製品として販売された時点で30年の歴史があったといわれる。The Landlord's Gameは後に別の人物によってFINANCEというゲームに改良されている。
1933年に失業中の元エンジニア、チャールズ・B・ダロウ(ペンシルバニア州在住)がFINANCEを遊んでみて惚れ込み、独自の改良を加え、現在のモノポリーを完成させたとされる。ダロウは手作りのゲームを独自に販売していたが大量の注文をさばききれなくなり、モノポリーをパーカー・ブラザーズに売り込んだものの、ゲームの専門家にファミリーゲームとしては終了までの時間がかかりすぎる点やゲームの複雑さなど、基本的な欠陥が3つあることを指摘されて商品化を断られる。ダロウは地元でモノポリーを売り続けていたが、デパートからクリスマスシーズンに向けて大量注文が入ったため、その評判を聞きつけたパーカー・ブラザーズが権利を取得した[3]。また、ダロウが権利を譲渡する際、パーカー・ブラザーズはゲーム時間の短縮のために時間短縮版のルールをダロウに提案し、相手を最後まで破産させるプレイ時間の長い方式と併記することによってダロウは契約を受け入れた。
1935年に初めて一般発売されたモノポリーは、大不況の時勢のもとで大ヒットした。1966年にはビートルズが来日し、ファンが殺到しホテルに釘付けになっていたため、ホテルでモノポリーに熱中していた。
また、棋士の間でも、1990年代にモノポリーが流行した。地方対局にも対局用品と共に携帯し、昼の対局で火花を散らした棋士同士が、夜は棋士仲間やスタッフも加えて仲良くモノポリーに興ずる光景が見られた。

次回、どんな感じでやろうかというのが決まったのが楽しみ。