日々、想う。んで、記す。

プライドを持たない、節操を持たない、愛着を持たない、弱音を吐かない。

日本陸軍について

北岡伸一『官僚としての日本陸軍』を読了。吉田茂絡みの本を追いかけているうちに、政治全体の動きが気になり始めて、統帥権やら軍部大臣現役武官制度に興味が出てきて、読んでみた。読んでみて思うのは、じゃあ軍人が内閣に入ってどんだけひどかったか、っていうのをみてみると、意外とそうとばかりも言えないというところ。

政党による統合にとってもっとも難しいのは軍の存在であった。天皇親政の理念によって、軍は天皇に直結する(つまり内閣に従わない)ことを正当化することができたからである。
それゆえ政党内閣にとっては、軍が政党に対して協調的であることが必要不可欠であった。実際、1920年代の軍は政党に対してかなり協調的だった。
1919(大正8)年、原内閣のもとで陸軍軍拡と海軍軍拡の両立が困難になったとき、田中義一陸相は、軍艦には艦齢というものがあって、それに応じた建艦が必要である、したがって陸軍軍拡は一時あとに回して構わない、と海軍に一歩を譲ったことがある。これは軍指導者におけるステイツマンシップと呼ぶべきものであるが、こうした態度が暗黙のうちに期待されていたのである。(p.20)

↑こういうエピソードは、教科書でざっくり近代史をやるだけではとうてい出てこない。こういうこともあったのだねえ。
そして、文民統制がいいっていうのはそりゃそうだろうと簡単に教科書には書かれているけれど、そういうことよりも、権力構造のあり方とか、だれが責任をもつ体制だったのかとか、もっとしっかり教えるべきよね。明治維新と昭和の政治とで責任がどこにあったかを対照させて書かれている部分も、ははあ、と思いながら読んだ。

かつて明治維新は、実力のあるものが責任のある地位に上るという点で画期的な変革であった。西郷・大久保のような下級武士の実力者がやがて薩摩を動かすことになり、さらに参議となり、そして伊藤が首相となったのであった。昭和に起こったのはその反対で、実力者は下にいて、名目的な指導者をいただく体制となった。責任政治は崩壊したのである。
一見大きな力を揮ったようでいながら、陸軍の現役の将官は、1916(大正5)年に首相となった寺内正毅以来、東條英機まで一人も首相となっていない。その間に軍人で首相となったのは、林銑十郎、阿部信行、それに海軍の米内光政の三人であったが、それはいずれも軍の膨張を抑制する側の内閣であった。これに対し、文官として組閣した広田弘毅、そして二度の近衛文麿の内閣の方が、はるかに陸軍に協力的であった。
陸軍が間接的・合法的存在にとどまったのは、陸軍の自制でも余裕でもなく、弱さの現われであった。総力戦の時代には、統帥権の独立が時代遅れであることも明らかであった。しかし統帥権の独立を克服する方法がなかった。(p.88)

平和主義と非軍事主義についての考察も書かれているのだけど、ナイーブに「平和がいい」というだけではなくて、こういうのも考えるべきだなあ、と勉強になりました。【→メモ:官僚としての日本陸軍

日本の平和主義は、より正確には非軍事主義であった。しかし第一に、非軍事主義だけでは平和は守れない。第二に非軍事的行動も、たとえば多国籍軍への資金支出のように、軍事的効果を持つ。要するに、非軍事主義はそのまま平和と結び付くものではないのである。しかも、われわれの目指すものが本当の平和主義ならば、それは日本の平和だけでなく、世界の平和を目指すものでなければならないだろう。そのためには、逆説的だが、厳格な非軍事主義では駄目なのである。より現実的で有効な平和のために、日本に何ができるか。これを考えるためには、軍事の問題を避けて通ることはできないのである。その意味で、明治以来の政軍関係の歴史は、単純に否定してしまうのではなく、なお内在的に学び、考察すべきテーマのように思われる。(p.92-93)

官僚制としての日本陸軍

官僚制としての日本陸軍