日々、想う。んで、記す。

プライドを持たない、節操を持たない、愛着を持たない、弱音を吐かない。

吉田茂の評伝もいよいよ3冊め

猪木正道『評伝 吉田茂(3)』を読了。日独伊防共協定のところで、吉田茂を偲んで三宅喜二郎元スウェーデン大使が書いているというエピソードがいい。

三宅喜二郎元スウェーデン大使が『霞関会会報』に書いておられる”吉田さんを偲びて思うことども”にも、防共協定に関する吉田茂の態度をあざやかに描き出している部分がある。「当時すでに満州事変が起っており、かつ中国本土においてもわが国対英米の利害が追々衝突しつつあり、また世界市場において、日英の通商競争が激化していたというような原因もあって、英国の対日空気は悪い方へ向いつつあったので、私たち若い官補連中の多くは、日独防共協定は、国際共産主義の脅威を防ぐだけでなく、英米の対日強硬政策をむしろ牽制する効果もあるであろうという賛成論であった。
それである日、私ども若い者が吉田大使から官邸の晩餐にお招きを受けた際、大使に対してその議論を吹きかけたところ、大使は、
“そんなのは書生が本郷や神田の牛めし屋でする議論だ。”
と、一笑に付されたのであった。」(p.29)

こうして「そんな書生論を言うな!」っていう大人がそばにいること、そんなリーダーシップがあることが望ましい、と言うのはそのあとこの防共協定がどうなったかを知っているからだね。今も若手の官僚や若い政治家たちは、もしかしたらこういうことを言われているかもしれないなあ、とか思ったり。
一方で、吉田茂の三女である麻生和子さんによる1978年9月17日・18日に高知新聞でされている回想もよかった。

「私はあの人のことを父親として考えたことは、あまりなかったけど、友達としては最高の人でしたよ。だから亡くなった時は本当にがっくりきました。」

「そりゃあ、怒ったりすると大変に激しかったけど、何ともいえないチャーム(魅力)のある人でした。
あんなのもういない。あの位チャームのある男はほかにちょっと知りませんよ。
それにネ、明治の御代の人は、みんなそうだったかもしれないけど、何というのか、人生をもっと真剣に考えてましたよネ。あの戦争で、東京の街々が、ペッチャンコになり、焼け野が原になっても、父は、
“日本は必ず復興する。その目的のためには、どんな苦しいことでもやる。できる限りのことをする。日本の国民が仮名あらず立ち直る。”
そういってました。自分たちの国をこよなく愛し、日本の国民を信頼し、その国民のためには、どんなことでもするという信念を持ってました。今そんな人いないでしょ。信念を持てる人は幸せだと、私はそう思いましたもの。

「普通外交官って外地に赴任すると給料増えるでしょう。だから中にはためて帰る人もあるっていわれますよネ。でも、父の場合は逆でしたよ。外国へ出るたびに借金が出来て、帰ってくると銀行やあちこちへチビチビ返してました。若い頃から外国の方たちとのお付き合いで自腹を切ってたのでしょうかネエ。(中略)
満点の人間なんてありゃしない。でも、やはりケンカしても私とは通じ合うものがあったし、第一、見てくれだってとってもすてき。
今でもあれがボーイ・フレンドだったらなあ――って思いますもの。(p.110-114)

そしていよいよポツダム宣言を受けて、外務大臣に就任。

吉田茂にとって一層重要だったのは、尊敬する鈴木大将から直接日本の進路について指導を仰ぐことだ。
「こんな難しい時期に外務大臣を拝命しました。どうすればよろしいか、是非一つ御教え願いたい。」
という吉田茂の質問に対して、鈴木貫太郎は答えた。
「それは君、負けっぷりをよくしろ。」
吉田茂は、この含蓄の深い教えを帰りの車のなかで、何度も何度もかみしめて味わった。”負けっぷり”をよくするとは、イエスとノウとをはっきりさせて、できることは誠実に実行する、できないことは、はっきりできないという意味だと、吉田茂は解釈した。
麻生市兵衛町の外相官邸からは、廃墟と化した東京の焼跡が一望の下に見渡せた。さきに引用した来栖大使あての手紙では、日本の再建についてあれほど楽観的だった吉田茂も、毎日廃墟を眺めているうちに、溜息をもらすようになった。しかし、どんな情況の下でも、彼は絶望するような弱虫ではなかった。
「日本人は必ず立ち直る。日本はきっと復興する」とつぶやきながら、吉田茂は前向きにわが国の再建問題と取り組むことになる。鈴木貫太郎の言葉が、彼を奮起させるきっかけとなったことは疑いない。吉田茂は外交の専門家から政治家(ステイツマン)に脱皮しはじめたのである。(p.360-361)

もともと外交官であり、官僚だった吉田茂が、どう政治家になっていくのか、日本の復興が始まるのが4巻から。楽しみ!

評伝吉田茂〈3〉雌伏の巻 (ちくま学芸文庫)

評伝吉田茂〈3〉雌伏の巻 (ちくま学芸文庫)