日々、想う。んで、記す。

プライドを持たない、節操を持たない、愛着を持たない、弱音を吐かない。

部活のこと、いろいろ考える

こういう部活がいいなあ

ひぐちアサおおきく振りかぶって(19)』を読了。大会が終わって、これから新人戦。他校との関わり、ケガとの関わり、チームメイトとの距離感、部員と監督の距離感、理論的にきちんと語られる指導方法。このマンガで描かれている西浦高校の野球部、部活としてとってもいいなあ、と思っています。
それらいい描写への対比として、ひどい指導者も出てきますけどね。

おおきく振りかぶって(19) (アフタヌーンKC)

おおきく振りかぶって(19) (アフタヌーンKC)

桑田さんの理性的な反応

桜宮高校での体罰事件は、いろんな人がいろんなことを発言していますが、僕は桑田さんの言葉に同意かなあ。

僕は体罰には猛反対なんです。あるべきではないと思っています。体罰をすることで指導する方法って、僕はいちばん簡単だと思うんです。「なぜ、できないんだ」「気合を入れろよ」と体罰をするのではなくて、もう少し話をして、できなければできるように、いろんな角度から説明をする指導方法のほうがもっと難しいんですね。
手っ取り早い指導方法が体罰だと僕は思っています。いろんな考えがあるとは思いますけど、僕は体罰には反対ですね。
NHK NEWS WEB 桑田真澄さん 体罰は安易な指導

桑田さん、理性的だなあ。アスリートとして、桑田さんや為末さんや、そうした言葉できちんと伝えられる人がもっと出てくるべきだよなあ。ヨーロッパの子どもサッカーチームなどでは、「なぜ、そうするのかということを伝えられないと誰もついてこない、というのを聞いたことがある。それも根は同じなような気がする。きちんと伝えられるかどうか。
これは別に、部活の指導だけの話ではなく、子育ての話としても同じだけどね…。

自分のこと

僕自身は、中学校のサッカー部、高校のハンドボール部と、どちらも体罰らしきものはなかったなあ。唯一、中学のサッカー部は、ミスをしたりすると「梅干し」って行って、頭のこめかみの辺りをゲンコツでグリグリされる、というのがあったけれども、それも全員に1回ずつ、みたいな感じだったっけ。嫌だったけれど、ミスしたけじめ、みたいな感じで終わってて、そこから切り替えられたからよかったっけな。こういう「これくらいならいいか」がだんだん体罰にまで通じるのだろうか…。

息子のこと

学校で「部活をやめる」っていうのは、けっこう学校生活を生きにくくするからなあ。体育科だったらなおさらだし。長男S氏が中学、高校にあがるころ、部活はどんな形になっているだろうなあ。できればチームスポーツをやってほしいな、と思っているのだけど、それなら地域のクラブチームとかでまずはやらせてみようかな。「やめる自由」がなきゃダメだと思うのです。