日々、想う。んで、記す。

プライドを持たない、節操を持たない、愛着を持たない、弱音を吐かない。

『「弱くても勝てます」開成高校野球部のセオリー』を読んだ

高橋秀実『「弱くても勝てます」開成高校野球部のセオリー』を読了。開成高校といえば、名門進学校ですよ。それと同時に、棒倒しで有名、みたいな「ただ勉強しているだけじゃない進学校」って感じかな。実はこれは、トップ進学校に多いな、と思ってます。武蔵とかもそうだと思うし、ラ・サールもそんな感じみたいだし。
で、その開成高校の野球部を追いかけたルポ。開成高校にはグラウンドが1つしかなくて、しかも他の部活との兼ね合いで、硬式野球部が練習できるのは週1回3時間ほどだけ。その練習で、ベスト16入り、これは何か秘密が…?というのに惹きつけられる。

「弱くても勝てます」: 開成高校野球部のセオリー

「弱くても勝てます」: 開成高校野球部のセオリー

個性的な部員たちもおもしろいし、理屈っぽい監督にものすごく共感するし、惹きつけられます。何点取られても、そのぶん、取り返して勝つ、という野球に特化して連数をしているらしいです。

ふと青木監督が常日頃放っている罵声を思い出した。彼の罵声も正確で論理が詰まっている。例えば、開成高校のグラウンドで試合が行なわれた際に外野に赤いコーンを置きっ放しにしているのを見ると、「それをどかせ!」と言うのではなく、「そこにコーンを置いたヤツはコーンを置くことの主旨を理解してない!」と叫ぶ。出塁してぼんやりしている選手には「ウチの野球には安心できる場面などない!」。守備で球を手にしてあたふたしたりすると、「人間としての基本的な動き方ができていない!」「そんなことは起こりえない!」。客観的に正確に怒鳴る。怒鳴ってはいるが命じているわけではなく、察するに生徒たちの自主性を損なわずに、客観性で追い詰めるのだ。(p.101-102)

わかる!(笑)おもしろいなあ。ただ言うのでは聞かないから、きちんと理解して練習させる、というのも共感する。

「グラウンドでやるのは『練習』ではない」
監督は意味不明なことを言った。
――練習じゃない?
「『練習』という言葉は、同じことを繰り返して体得する、という意味です。しかしウチの場合は十分に繰り返す時間もないし、体得も待っていられません。それにそれぞれが繰り返すべき何かをつかんでいないわけですから、『練習』じゃダメなんです」
――それで何を?
私がたずねると監督は明快に答えた。
「『実験と研究』です」
――実験と研究?
「グラウンドを練習ではなく、『実験の場』として考えるんです。あらかじめ各自が仮説を立てて、それぞれが検証する。結果が出たらそれをまたフィードバックして次の仮説を立てることに利用する。このサイクルを繰り返していくうちに、それぞれがコツをつかみ、1回コツが見つかれば、今度はそれを繰り返して体得する。そこで初めて『練習』と呼ぶにふさわしいことができるんです」
1球ごとに実験する。やること自体は同じだが、取り組む考え方を変えるのである。確かに私も「練習」と聞くと漫然とした疲労感を覚えるが、「実験と研究」なら目的意識を感じ、新鮮に響く。開成の選手たちは理系志望が多いので、彼らもこれなら生まれ変わるかもしれない。(p.106-107)

もう、やりとりがいちいちおもしろすぎる。でも、OBの方がおっしゃることに何だか微笑みつつ納得してしまった。

(OBの)半田さんは真剣な面持ちでこう答えた。
「東大が六大学で優勝するより、開成が甲子園に出るほうが先になる可能性が高い」
何やら微妙な可能性だが、ツキは低い可能性を勝ってこそのツキ。少なくとも以前より甲子園が近づいていることは確かなのである。(p.197)

ごもっとも。がんばってほしいなあ、ほんと。こういうスポーツの楽しみ方、勝ちの追求の仕方だってありなはずだよな。ただガリガリと勉強するよりも、ずっと地頭を使っている感じ。ストリート・スマート。大事なこと。