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内藤朝雄『いじめの構造 なぜ人が怪物になるのか』がとてもよかった!

内藤朝雄『いじめの構造 なぜ人が怪物になるのか』と関係していて、いいタイミングで読んだなあと思った。いじめについての書籍は、ルポルタージュ系のものだけじゃなくて、「それってどうして?」って理由をつきつめて、いじめの起きない対策をきちんと考察しようとしているものにあまりあったことがなかったので、とても新鮮だった。感情で「ひどいでしょ?」というふうに訴えるだけではなくて、こういうふうに、どうすればいいのかというのを積み重ねていく考察をしていきたいな、と思う。

いじめの構造―なぜ人が怪物になるのか (講談社現代新書)

いじめの構造―なぜ人が怪物になるのか (講談社現代新書)



まず、内藤さんの思いが出ているあとがきがとても良いと思った。

人類は、いつの時代にも残酷なことを繰り返してきた。それは、いつの時代にも人が癌になってきたのと同じことである。しかし、わたしたちは、初期の癌を発見し治療する理論と方法をつくりだした。それと同様、人間が人間にとって怪物になるメカニズムを発見し、それを抑止する方法をつくりだすこともできるはずだ。筆者はそのための第一歩として、本書を書いた。


二十一世紀の人類社会が、人間にやさしい社会であるように!(p.265)

いじめの構造を分解する

それから、いじめの構造を少しずつ紐解いていく。結局、学校っていう共同体が、社会と全然あってないってことなのかなあ、と思うなあ。

学校に集められた若い人たちは、少なくともそれだけでは赤の他人であるにもかかわらず、深いきずなでむすばれているかのようなふりをしなければならない。学校では「みんな」と「仲良く」し、その学校の「みんな」のきずなをアイデンティティとして生きることが無理強いされる。すなわち学校では、だれが大切な他者でだれが赤の他人なのかを、親密さを感じる自分の「こころ」で決めることが許されない。逆に、親密さを感じる「こころ」が学校によって強制される。集団生活を通じた「こころ」の教育は学校の業務に含まれており、どういう「こころ」が好ましい「こころ」であるかは、学校が決める。学校の「みんな」になじめない「こころ」は、学校の赤の他人を家族のように感じる「協調性のある適応的」な「こころ」へと無理やり教育される。
学校の「友だち」や「先生」に親密さを感じない「こころ」の自由はない。生徒は学校に強制収容され、グループ活動に強制動員され、いじめや生活指導で脅されながら、親密な「こころ」をこじり出して群れにあけわたす「こころ」の労働を強制される。(p.172)

まったくだなあ。そして、僕がいじめられなかったのは、「たまたま」だよなあ、と思ってしまうのです。たまたま馴染めたからいじめられなかった、っていうだけ。だとすると、自分の子どもがいじめられるかどうかだって「たまたま」に委ねなきゃいけないなんてイヤだな、と思うのです。だから、学校を変えたい。でも、学校を変えるのは難しいだろうから、学校から逃げ出しても他に逃げられる共同体を地域社会でもネット上でも、スポーツクラブでも何でもいいから、作っておいてあげたいな、と思ってる。

で、どうすればいいのか考える

その上での、短期的な政策と中長期的な政策を内藤さんは提案しています。

短期的な2つの政策(p.199):
学校制度の大枠を変えることなく、比較的容易に実行可能。
1.<学校の法化>
加害者が生徒である場合も教員である場合も等しく、暴力系のいじめに対しては学校内治外法権(聖域としての無法特権)を廃し、通常の市民社会と同じ基準で、法にゆだねる。そのうえで、加害者のメンバーシップを停止する。

2.<学級制度の廃止>
コミュニケーション操作系のいじめに対しては学級制度を廃止する。

賛成。学校だけが特別な場所になり過ぎ。

中長期的な政策(p.222-223):
新しい義務教育を、「強制してでも身につけさせなければならない、生きていくために必要最低限の知識に関して、保護者が子に国家試験をうけさせることを義務づけるもの。

  1. 日本社会で生活していくのに必要最低限の知識を習得しているかどうかをチェックする国家試験を子どもに受けさせる保護者の義務。
  2. 国家試験に落ち続けた場合には、後に述べる特殊貨幣、教育バウチャーを消化させる保護者の義務。

上記「必要最低限の知識」の内容は以下のとおり:
(a) 生活の基盤を維持するのに必要な日本語の読み書き
(b) お金を使って生活するのに必要な算数
(c) 身を保つために必要な法律と公的機関の利用法
国は、この3つの内容について国家試験を行う。

これもいろいろ賛否両論あるだろうけど、そもそも「どこまでを身につけさせるのか」という目標の設定と、「本当に身についたのか」のチェックについては、学校の存在意義と存在価値に直結する話なはずなので、やるべきだと思うなあ。評価の中身は、国として定めてもいいし、学区として定めてもいいし、もちろん学校として定めてもいいと思うけれど。

本当に勉強になった本でした。少しずつでも「どうすればいいのか」を考えて、対策を立てて、その評価をして…と進めていくしかないと思うのです。あきらめるのが最悪。あきらめずに、変えていくための努力をする。バカにしないで、ちゃんと努力をする、ってことだと思う。
他にもいろいろ勉強になったので、いろんなメモをこちらに置いておきます。【→メモ:いじめの構造