日々、想う。んで、記す。

プライドを持たない、節操を持たない、愛着を持たない、弱音を吐かない。

寺脇研さんの誠実さが好きです

寺脇研『格差時代を生きぬく教育』を読了。ゆとり教育失敗の戦犯みたいに扱われることもある寺脇さんですが、今でも「ゆとり教育」の看板を背負って、公の場に出ていたり発言をされたりしているのを見ると、信念の人だなあ、かくありたいなあ、と思います。

格差時代を生きぬく教育

格差時代を生きぬく教育

この本、とても親しみの持てる語り口で書かれていていいです。「そうそう!」と思っちゃったりするところも多い。例えば、以下のところとかね(太線は、僕が引きました)

私だって、社会観の違う人から非難されるのは当たり前ですよ。前の戦争は正しかったとか、靖国に総理が参拝するのは当たり前であってそれに文句を言うなどとんでもないとか言ってる人たちから反対されるのは当たり前なんです。例えば私はよく櫻井よしこ(評論家)さんからメディアの上で厳しいお叱りを受けますが、櫻井さんの社会観から言えばゆとり教育とか寺脇の社会観はおかしいに決まってますよ。だけど、この社会全体で広く議論したときに皆のコンセンサスとしての社会観はどうなっているのかが重要なんじゃないですか。
現場は混乱しないほうがよりいいけれども、そのことが何かを変えちゃいけない理由には絶対ならない。合法的に変えられる限りは。私ら公務員ですもん。私らが、例えばコンピュータを今日から使いなさいって言われたら使わなきゃいけないんですよ。消防隊員が消火法の指針が変わったっていたらもう馬鹿馬鹿しくてやってらんないって言いながらさぼっていたら、そんなこと許されますか?それなのに、こと教員となると、こんなにくるくる変わったんじゃうちらもやる気が起きませんね、だとか、マスコミのインタビューに公言できる神経ってすごいと思う。それは公言する教員だけが悪いんじゃなくて、公言させる社会の体質がよくないんですよ。
どう決められたことであれ、国民が納得して合法的に決められたことがゆとり教育だったらそれをやらなきゃいけないし、それに反対だったら辞職すればいい。辞めたくはなくて公務員の立場にしがみついてはいたいが、これは自分の好きなやり方じゃないからやらないとかそんなことをやってるからいけない。
実は日本の学校の問題点というのは、教育の制度や構造の問題だけではなしに、その学校の先生という公務員の、体質を改善しなきゃいけないんですよ。悪しき公務員体質、自分は絶対守られてるから、勝手放題言うっていう、体質。
それとあと自分のつまらない政治的信念を教育現場に持ち込むということ。つまらんというとあまりに攻撃的だけど、国旗国歌反対もそれなりに意味がないわけじゃないけど、そこにあれだけのエネルギー使うんだったら、総合的学習の授業でもちゃんとやれよって、思います。別に国旗国歌だけを言ってるわけじゃないですよ。あるアイテムに、過度の情熱を注ぐんだったらっていう意味ですよ。もっと別の例で言うなら、部活の指導にものすごい努力と能力を注いでおいて、いい授業をろくにやらない教員を、「部活に熱心な良い先生」だなんてそんな馬鹿な話があるかい、というわけですよ。(p.69-71)

同じようなことを、大阪府の教育長になった、中原徹さんも書かれてましたね。(参考:中原徹・伊藤大貴『学校を変えれば日本は変わる』)

学校を変えれば日本は変わる  強い国・日本は公立改革で生み出す

学校を変えれば日本は変わる 強い国・日本は公立改革で生み出す

僕は、ゆとり教育、とてもいいと思うのだけどなあ。それを「どう実現するか」というところは、もちろん現場でのオペレーションに負荷がかかりすぎていたかもしれないけれど、それだって、解決できるのではないかな、と思っている。確かに、学校って変なところもあるし、民間から見たときに「え?」と思うことも多いけれども、でも学校という仕組みを信じたいな、と僕は思っている。
ゆとり世代とか言われて、何だかレッテルを貼っているけれど、結果なんてまだこれから10年とか20年とか経たないとわからないことだってある。僕らの世代と、ゆとり世代、どっちが日本を建て直すかなんてまだわかんないじゃないか、とも思うのだけどね。予算が無限にあるわけじゃあないのはわかるけれど、ちょっと結論を出すのが早過ぎたんじゃないの?と思ってる。