いよいよ五賢帝が登場
塩野七生『ローマ人の物語 IX 賢帝の世紀』を読了。いよいよ五賢帝時代。トライアヌス帝とかハドリアヌス帝とか、「世界史でやった!」的なミーハー心ありw
- 作者: 塩野七生
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2000/09
- メディア: 単行本
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しかし、ローマ史は、読めば読むほどに、いまのヨーロッパにまでちゃんとつながっているのだなあ、と。数年前に行ったルーマニアだって、まあ国名からしてRomaniaなわけで縁があるのは知っていたけど、イタリア語とルーマニア語が近いってことなんか知らなかったし、その起源がトライアヌス帝のダキア遠征の結果として、ダキアの住民をそっくり入れ替えたためだ、というのは知らなかったなあ。
トライアヌス帝は、ダキア王国をローマの単なる属州にしただけではなかった。彼は、ドナウの北岸一帯に勢威をふるっていたローマにとっての危険な敵を、一掃するのでもなく屈服させるのでもなく、地上から抹殺しようと考えていたからだ。
戦役の初期に早々に降伏し、恭順を誓ったダキア人のダキア居留は認めたが、闘って敗れたダキア人は、老人でも女子供でもカルパチア山脈の北に追放し、故国での居住を許さなかった。しかも、五万人ものダキア人を、捕虜ないし奴隷として故国から引き離したのである。つまりダキアの地を、ほぼ全域にわたって空っぽにしてしまったのだ。
空っぽになったダキアには、周辺の諸地方から住民を移住させた。それも、一地方からではなく、多くの地方から。こうして、ダキアの住民の総入れ替えは実現した。風習も言語も異なる人々の混合体となったダキアには、共通語としてローマ人の言語であるラテン語が浸透していく。イタリア、フランス、スペイン、ポルトガルの言語がラテン語を母体にしていることはよく知られた事実だが、これらラテン系の諸国とは離れたルーマニアの言語もラテン語系に属す。イタリア語がわかれば、ルーマニア語の半分ぐらいはわかる。現代のルーマニアは、かつてのダキアであるからだった。(p.106-107)
うーん、ローマ帝国、まじすごい。