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ローマ帝国の「インフラ」に見る、公私の考え方

 塩野七生ローマ人の物語 10 すべての道はローマに通ず』を読了。この巻は前に進まず、ローマのインフラ、ハード面とソフト面の両方を詳しく見て行く。いやーすごいわ。ローマ街道も、水道橋も、すげー。今でも残ってるんでしょ?ローマにも、ドイツにも、チュニジアにもイスラエルにも。写真も図版もたくさんあるので、すごいテンション上がる!見に行きたい!

ローマ人の物語 (10) すべての道はローマに通ず

ローマ人の物語 (10) すべての道はローマに通ず

 ローマ人が作った街道が、今もヨーロッパ各国や北アフリカなどでは幹線道路とほとんど変わらない。街道がそのまま幹線道路になっているわけで、すごいなあ。ローマ人がどれだけインフラを重視したのか、というのも書かれています。これもすごい。

ローマ人は、現代人から「インフラの父」と呼ばれるほどインフラを重視した民族だった。インフラストラクチャーという合成語をつくるときも、ラテン語から引いてくるしかなかったほどに、ローマ人とインフラの関係はイコールで結ばれていると言ってよい。すべての道はローマに通ず、の一句は、誰もが知っているように。
ならばそのローマ人の言語であるラテン語に、「インフラ・ストゥルクトゥーラ」という言葉そのものがあって当然と思うが、それがないのである。なかったから、現代になってつくらざるをえなかったのである。
しかし、あれほどの質と量のインフラをつくっておいて、それを表現する言葉がないというのはおかしい。言事は、現実があって、それを表現する必要に迫られたときに生れるものだからである。そう思いながら探してみたら、ある言葉にぶつかった。
「モーレス・ネチェサーリエ」(moles necessarie)という。日本語訳を試みれば、「必要な大事業」とでもなろうか。しかもこの言葉を用いた文章の一つでは、「必要な大事業」の前に、「人間が人間らしい生活をおくるためには」という一句があった。つまり、ローマ人はインフラを、
「人間が人間らしい生活をおくるためには必要な大事業」
と考えていたということではないか。(p.17-18)

 インフラを、「人間が人間らしい生活をおくるためには必要な大事業」と考え、そのために国家やリーダーがリソースを投じて作り、メンテナンスしていく、というのも本当にすごい。リーダーとして、「公」を支える覚悟がすごい。
 そのことに関連して、塩野さんが日本のある政治家さんと話をした、公私の区分の話もおもしろい。

数年前だったが、将来の首相候補と世評の高かった日本の政治家の一人と会っていたときだ。その人は私に、総理大臣になったら何をすべきと思うか、とたずねた。私は即座に答えた。
「従来のものとは完全にちがう考え方に立った、抜本的で画期的な税制改革を措いて他にありません」
そうしたらその人は言った。税の話では夢がない、と。私は言い返した。
「夢とかゆとりとかは各人各様のものであって、政策化には欠かせない客観的基準は存在しない。政治家や官僚が、リードするたぐいの問題ではないのです。政治家や官僚の仕事は、国民一人一人が各人各様の夢やゆとりをもてるような、基盤を整えることにあると思います」
その後に発表されたこの人の政見を読めば、私の助言は無駄に終ったことはわかったが、このエピソードは、ローマ史を書くうえでは役に立ったのである。なぜなら私に、次のことを考えさせたからであった。
古代に生きたローマ人は、「公」と「私」の区分を、どのように考えていたのか。そして、この疑問への解答は、これらローマ人が、「人間らしい生活をおくるためには必要な大事業」と定義していた彼らのインフラをとりあげることで、得られるのではないかと考えたのである。(p.19)

 そして、ローマ帝国が滅びた後、ローマ街道はメンテナンスをされずに滅びていった様子も最後に紹介されていきます。

ローマでは、中世は確かに暗黒であったのだ。ローマ街道は、メンテナンスもされずに放置の状態がつづいた結果、敷石はすり減り、間には土砂がたまり、雑草が生えたあげくに静かに死んでいくが、ローマ水道の死のほうは急激だった。インフラは、それを維持するという強固な意志と力をもつ国家が機能していないかぎり、いかに良いものをつくっても滅びるしかない。これは、ハードなインフラだけにかぎったことではなく、ソフトなインフラでも同じことなのである。(p.184)

 ストーリーの流れを止めてでも、みっちりインフラの話をしてもらえたのはとてもよかった。さて、次の巻からはまた前に進みます。楽しみ。