秋山真之と東郷平八郎 (『坂の上の雲 (3)』を読んで)
司馬遼太郎『坂の上の雲 (3)』を読了。あまり本筋とは関係ないのだけど、とってもいいなあ、と思ったところを抜粋。何度かくりかえして読んでいるからこそ、本筋とは違うところが印象に残るなあ…。
まずは、秋山真之が海軍大学校で講義をしたときのもの。先輩でもある、八代六郎が聴講に来ていて、真之と口論になったときの様子が書かれています。
真之の海軍大学校における戦術講義は、不朽といわれるほどの名講義だったらしい。
どういう原典もつかわなかった。
かれ自身が組織して体系化した海軍軍学を教えただけでなく、それをどのようにして組織しえたかという秘訣をくりかえしおしえた。
「あらゆる戦術書を読み、万巻の戦史を読めば、諸原理、諸原則はおのずからひきだされてくる。みなが個々に自分の戦術をうちたてよ。戦術は借りものではいざというときに応用がきかない」
と言い、試験をして学生の回答がかれの意見とちがっていても悪い点はつけなかった。
海軍の先輩までが、聴講生で入ってきた。
八代六郎などは、真之が兵学校の生徒だったころの教官であったが、選科の聴講生として入校し、真之の講義を熱心にきいた。
八代は、豪傑をもって知られている。疑問におもうところは容赦なく質問した。
真之も答え、八代にそれが気に入らないと、八代はさらに立って真之に食ってかかり、壇上と壇下でけんかのような議論になる。あるとき双方ゆずらず、ついに真之はこの兵学校のころの恩師に、
「愚劣きわまる。八代という人はもっとえらい人かとおもっていたが、これしきのことがわからぬとは、おどろき入ったことだ」
とまで放言した。八代は大佐で、真之は少佐である。
八代はだまった。
本来ならつかみあいをするような人物だが、考えこんでしまい、この日はだまって帰った。
翌日、目を真っ赤にしてやってきて、
「秋山。君のほうが正しかった」
と教室のなかで大声であやまった。昨夜寝ずに考えた結果だ、と八代はいった。
「そうでしょう」
真之は、にべもなくいった。ふつうなら上級者が折れて恥じ入っている場合、下級者としてはあいさつのしようがあるであろう。ところがそれに対する真之の態度は、かなづちで釘の頭を打ち下すような調子で、愛嬌もなにもない。
――どうも天才だが、人徳がない。
と、一部では、この応対を見ながら、思う者もあった。真之にいわせれば、
――戦術に愛嬌が要るか。
ということであった。(p.16-18)
真之の方の「戦術に愛嬌が要るか」というのも同意だけども、年をとってきた自分としては、八代みたいに謙虚でいられるか、というほうに興味があるわ。
あとね、天才だった真之とそれを使いこなす上官である東郷平八郎の性格の違いとかもおもしろい。満州軍の方の、児玉源太郎と大山巌との関係もそうだね。
東郷はこの戦争の全海戦を通じ、きわめて幸運な男とされていたが、かれの驚嘆すべきところは、不運に対して強靭な神経をもっているということであった。
二戦艦をうしなって、敗残の艦長たちが旅順口外からもどってきて三笠にそれを報告すべくたずねたとき、かれらはみな東郷の顔を見ることができず、みな声をあげてこの悲運に泣いた。
このときも、東郷は平然としていた。
「みな、ご苦労だった」
と、それだけをいって、卓上の菓子皿を艦長たちのほうに押しやり、食べることをすすめた。
東郷のこのときの態度は、戦艦朝日にのっていた英国の観戦武官たちも驚嘆したというはなしが、さまざまなかたちで諸外国に報ぜられた。
(おれが、このひとなら、このようにゆくだろうか)
と、東郷の頭脳を担当する真之はつくづくおもった。東郷は頭脳ではなく、心でこの艦隊を統御しているようであった。頭脳を担当する真之がもし東郷の位置なら、あるいは激昂するか、悲憤するか、強がりをいうか、どちらかだったかもしれなかった。(p.335-336)
連合艦隊も満州軍も、どちらも司令官は薩摩出身。仕事で経営者の人に会うと、この「楽観的で、どーんと構えてて、人をやる気にさせる」っていうスキルというか性格というか、そういうものの凄さに圧倒されることが多いのだけど、このころの国を背負ってる司令官たちのそういう風格って、すごかったのだろうなあ、と。
他にも薩摩には、この頃はもう亡くなっている西郷隆盛も、その弟の西郷従道もいたわけで、ほんのご近所から、そういう人材がごそっと出たってのはすごいことだよねえ。
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