日々、想う。んで、記す。

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『坂の上の雲 (5)』、旅順戦が終了

 司馬遼太郎坂の上の雲 (5)』を読了。旅順戦、終了。はー、やっと終った、旅順…。いくつか気になったところを抜き書き。

坂の上の雲〈5〉 (文春文庫)

坂の上の雲〈5〉 (文春文庫)

 満州軍総司令官である大山巌について。薩摩の大将の器の大きさっていうのは、本当に何度も何度も書かれていることだけど、こんな大将を戴いて、がんばりたいよねえ…。自分はもうどちらかというと、今の組織だと上にいるので、こんなふうでいたいな、と思う。上がヒステリックになったって状況は変わらない。だったら、楽観的に、次に向かわせるのが上にいる人の仕事だと思うのだ。大山巌も、もともとはそういうふうではなかった、というふうに司馬さんは書いています。人格を作ったのだ、と。

 大山巌は、幕末から維新後十年ぐらいにかけて非常な智恵者で通った人物であったが、人の頭に立つにつれ、自分を空しくする訓練を身につけはじめ、頭の先から足のさきまで、茫洋たる風格をつくりあげてしまった人物である。海軍の東郷平八郎にもそれが共通しているところからみると、薩摩人には、総大将とはどうあるべきかという在り方が、伝統的に型としてむかしからあったのであろう。
 ついさきごろの沙河会戦で、激戦がつづいて容易に勝敗のめどがつかず、総司令部の参謀たちが騒然としているとき、大山が昼寝から起きてきて部屋をのぞき、
「児玉サン、今日もどこかで戦(ゆっさ)がごわすか」
 といって、一同を唖然とさせた人物である。大山のこの一言で、部屋の空気がたちまちあかるくなり、ヒステリックな状態がしずまったという。
 大山のそういう点について、触れたい。
 かれがまだ陸軍大臣であったころ、その下に児玉源太郎、川上操六、桂太郎がいた。いずれも論客で、会議になると激論がつづき、決着がつきにくかったが、大山は空気のようになってそれをながめている。やがて機会(しお)をつかまえて身をのりだし、いっさい理屈をいわず、一人一人に、
「貴公はこうしなされ。貴公はこのように」
 と、それぞれに対し的確に示唆することによってたちどころに裁いた。この判定の正しさには、それがいったんくだると、理屈屋たちは理屈をいう気もおこらなくなるほどだったという。(p.16-17)

 あとは、逆に戦略を立てる時に、こうあってはならないだろうな、という教訓として、旅順の伊地知幸介参謀についてのところも。

 要するに海軍の提案を素人案として一蹴した。ついでながら、大砲の操作法といったような技術分野には素人と玄人の問題があるにしても、軍事(ストラテイジック)というものそのものには素人・玄人というものがない。このことは軍事の本質にかかわることであり、例をあげると、ここで素人・玄人のことばをことさらにつかうとして、長篠ノ役における武田軍団の諸将はことごとくその敵の織田信長よりもはるかに玄人であった。が、信長が案出した野戦における馬防陣地の構築と世界戦史上最初の一斉射撃のために壊滅してしまった。そのくせ信長や秀吉の戦法は江戸軍学にはならず、武田信玄の古風な甲州陣法が軍学になって幕末まで継承されたというところに、旅順における伊地知幸介の心的状況の一系譜があるであろう。(p.165)

 素人案の中にある、本質を見なければならない、というのは、教育政策とかにも当てはまるし、いろんな政策にも同じように当てはまるような気がするなあ。

 もう、NHKスペシャルドラマのイメージがあるので、秋山真之本木雅弘に自動変換されるし、秋山好古阿部寛だなあ。でも、大山巌は反町隆史だ(「八重の桜」のイメージが強いのだな)。捨松さんまで目に浮かぶ。