『ローマ人の物語』は危機の3世紀。軍団体験と政治家養成
塩野七生『ローマ人の物語 (12) 迷走する帝国』を読了。3世紀は危機の世紀。軍人皇帝時代、あったね…世界史で習った!次々とあちこちで皇帝が勝手に推挙されて生れて、捨てられて死ぬ…。それに蛮族の侵攻がハンパないから!もうライフはゼロよ!みたいな…でも、まだ続くんだよね。すごいわあ。
- 作者: 塩野七生
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2003/12/13
- メディア: 単行本
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塩野さんはローマをローマたらしめていたものがどんどん失われていく様子を書いています。 例えば、ガリエヌスが成立させた、元老院と軍隊の完全分離を定めた法について。これ、後世の評価が一致して悪いらしいのだけれど、元老院と軍隊が分離していなかったからこそ、軍事を知っている政治家を生むことができたのだ、ということ。こうした軍団体験が人材育成として機能していたのがローマの良さだったのに、それがこれから失われていく、ということ。
ローマでは、共和制・帝政を問わず、国家の要職に人を送る人材のプールでもあった元老院に議席をもつことが当然と考えられていた階級に生れた者は、若いうちに軍務を経験することが義務づけられていたのである。
青年とされていた十七歳からはじまって、中断期はあってもほぼ十年間にわたる軍務は、指導層に属す者には通らねばならない「コース」とされてきたのだった。帝政移行後は「パクス・ロマーナ」の確立につれてその十年も少しずう短くなっていくが、政治を行う機関である元老院に議席をもつ者にとって、軍団体験が重要であるとする考えが衰えたのではない。一個軍団を指揮する軍団長には元老院議員であることが資格条件であったし、低い生れから軍団内で昇進した者には、その資格を与えるためだけにも、皇帝の推挙によって元老院の議席が提供されたのであった。ローマ帝国の指導層を形成した人々に、いわゆる大学卒、ローマ帝国内の最高教育機関であったギリシアのアテネやエジプトのアレクサンドリアで学んだ者がほぼゼロであるのは、この人々の青年期が、学問の府で理論を学ぶよりも、軍団で実体験を積むことに費やされたからである。
兵士を率いて敵陣に突撃する一個中隊の隊長ならば、政治とは何たるかを知らなくても立派に職務は果たせる。しかし、軍務とは何たるかを知らないでは、絶対に政治は行えない。軍人は政治を理解していなくてもかまわないが、政治家は軍事を理解していなくてもかまわないが、政治家は軍事を理解しないでは政治は行えない。
人間性のこの現実を知っていたローマ人は、昔から、軍務と政務の間に境界をつくらず、この間の往来が自由であるからこそ生れる、現実的で広い視野をもつ人材の育成のほうを重視したのであった。(p.241)
ローマ帝国はこの後、東西に分裂して、フランク王国が起こって西ローマ帝国は滅亡…というのが世界史的には知っている流れだけど、どうやってそうなるのか、まださっぱりわからないわ…。