雪かきで地域のコミュニテイ力について考える(今シーズン2回め)
すごい雪積もっている…ということで、雪かき。雪かき前…これ…ぜんぶ…って思ったわ。
前回に続いて、またお向かいの家の方に雪かきシャベルをお借りしました。前回よりもずっと積もっているので、これがなければやばかった。
でも、マンションの人も、近所の人も協力してくれて、ひととおりできました!隣のマンションの人とも「いやー、大変ですね~」とか「ここんとこまでやっておけば通れますよね?」とか相談しては、一気に人数かけて始末していく、みたいな感じで進める。
そして、雪かきの終盤に、スーパースターが登場!超助かりました!重機、というか働く車、かっけえ!あっという間に3時間が経ってました…
初めて話す人が手伝ってくれることもある一方で、まったく雪かきしないマンションの人もいる。雪かきしないけど、お友達とは雪遊びしたり、話したりするのね。「おつかれさまです〜」の一言くらいは言っとく方がいいぞ。社会人として。身近な人や、自分の友達だけとしか協力できないんじゃ、ちょっとこれからしんどいんじゃないの?と思ってしまう。
震災以降、実はこういう近所とのコミュニケーションって大事だな、と思っている。例えば、僕らが家にいないときに何かが起こったときに、うちの子を知っている近所の人が助けてくれたりもあるえるし、もちろん、その逆もしてあげたいと思うし。そのためには、ある程度顔をお互い見知っていることが必要だと思うのです。
こういう地域のコミュニティにフリーライドすることに、必要以上にキー!って怒っているわけじゃないけど、「それはけっこうよくないだろう…」と心配になるっていうか。
公共性は、助け合いの効果を得て、「他者がいてくれて助かったなあ」と実感しないと育たないよなあ。学校での道徳とか、総合学習の時間とかって、こういうことを知れる時間になるように設計すればいいのにな。家庭によっては、そんなことを教えなくても大丈夫な家庭もたくさんあるけれど、何かあったときにコミュニティがちゃんと機能するかどうかは、「コミュニケーション能力が低い方」に合わせられちゃう気がするから。
雪かきしてたら暑かった。途中からはTシャツでやってたからね。近所のお父さん(初対面)に、「Tシャツはやばいでしょ!?」ってツッコミを入れてもらいました。いじられて生れるコミュニケーションもありますな。