日々、想う。んで、記す。

プライドを持たない、節操を持たない、愛着を持たない、弱音を吐かない。

こどもの国に行ってきた:気になること

ほのぼの、こどもの国

 保育園の時の仲良し家族と一緒に、こどもの国へ。朝からのんびり。乗り物に乗って、自転車コースをぐるっと回って、芝生でサッカーして、動物と触れ合って…といろいろ盛りだくさん。手近でなかなか楽しい。
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 サッカーは、2人対2人でパス回しとかやったけれど、だいぶ食らいついてくるようになったなあ、というイメージ。よしよし、がんばれがんばれ。と、余裕な感じで対応していたら、ボール取られた!「パパから初めてボールとった!」と大喜び。これだけ喜ばれるなら、必死で相手するかいがあります。

気になっちゃうこと

 こどもの国、あちこちに防空壕っぽいのがあるので、これ何かなあ、って行くたびに思っていたのだけど、ちょっと子どもたちを待っている間に調べてみた。以下、Wikipediaから引用。

戦時中は、旧・日本軍最大規模の弾薬組み立て・格納などを目的とした弾薬製造貯蔵施設(東京陸軍兵器補給廠・田奈部隊填薬所)であった。敗戦後は田奈弾薬庫として米軍に接収されるが、後に返還された。1959年の当時の皇太子(今上天皇)の成婚を記念して、主に、国費と雪印乳業など民間からの寄贈により施設跡地を整備し、1965年5月5日(こどもの日)に開園した。

 ああ、やっぱりもともとは陸軍の施設なのね…。

1938年国家総動員法によりこの地を強制的に買収し工事を開始、1941年に旧陸軍の弾薬庫として本格的な使用が始まった。敗戦後は米軍に接収され米軍弾薬庫として引き続き利用された後、1961年に返還された。敷地内に弾薬庫は33か所あったといわれるが、終戦後「こどもの国」開園までにほとんどが埋められたりしており、現在確認できるのは10基のみである。これら遺構は、電気設備等の園内施設に転用されている。現在、旧弾薬庫の内部には原則として立ち入り禁止となっているが、開園記念行事などで一般公開されることもある。
弾薬庫時代には、旧・日本国有鉄道国鉄横浜線長津田駅より引き込み線が引かれていた。園内のトンネルは鉄道に使われたとの説があるが当時学徒動員で弾薬庫に動員されていた旧制高等女学校の卒業生の話では園内のトンネルは鉄道に利用されていたのではなくトラック用の道路に利用されていたという。引き込み線の一部経路は東急こどもの国線として現在も利用されている。こどもの国線にはかつての軍用線の痕跡は、ほとんど残っていないが、線路脇にある道路敷地の境界石は旧帝国陸軍の物が多数残されている。また、引き込み線は現在の入口ゲート近くまで伸び、弾薬の積み下ろしのための駅があったといわれるが特に遺構はない。

 一般公開されることもあるのか。見てみたい!けどもう、この興味は「こどもの国」じゃないなあ(笑)あんまりこれについての看板とか説明もないものね…。いろいろ調べてみたいな、と思った。

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