日々、想う。んで、記す。

プライドを持たない、節操を持たない、愛着を持たない、弱音を吐かない。

失敗学をテーマとしたワークショップとかあるのかな

 畑村洋太郎『失敗学のすすめ』を読了。なかなかよかった。失敗についての情報を入れるほうが理解が深まるっていうのはそうだろうなあ。これを学校での知識の習得に当てはめるなら、どんな風になるのかなあ、とか考える。

失敗学のすすめ (講談社文庫)

失敗学のすすめ (講談社文庫)

 「こうすればうまくいく」といういわば陽の世界の知識伝達によって新たにつくりだせるものは、結局はマネでしかありません。ところが、「こうやるとまずくなる」という陰の世界の知識伝達によって、まずくなる必然性を知って企画することは、人と同じ失敗をする時間と手間を省き、前の人よりも一ランク上の創造の次元から企画をスタートさせることができます。
 この陰の世界の知識伝達には、さらに別の大きなメリットもあります。
 じつは私もかつては大学の授業で、ある問題に対して決まった解を出す、「正しいやり方」のみを学生たちに指導していました。当時は、知識を身につけさせる上で、それが最短かつ効果的な方法と考えていたからです。
 しかし結果として、「正しいやり方」を学んだ学生たちが身につけた知識は、表面的なものにすぎなかったのです。パターン化された既成の問題にはきちんと対応できても、実際に新しいものを自分たちで考えさせてつくらせてみると、こうした知識はほとんど役に立ちません。それ以前の問題として、自分が新たにどういうものを生み出そうとするのか、肝心の課題設定さえ自分の力で行う能力が身についていない学生が数多くいました。
 この問題点を解消するために、私は効果的な指導方法をいろいろと模索したのですが、その中で予期しないことが起こり、思いどおりにならない経験から真の理解の必要性を痛感することの有効性に気づきました。
 大事なことは、ひとつには学ぶ人間が自分自身で実際に「痛い目」にあうこと、もうひとつは自分で体験しないまでも、人が「痛い目」いあった体験を正しい知識とともに伝えることです。後に詳しく触れますが、「痛い話」というのは、「人が成功した話」よりずっとよく聞き手の頭にも入るものなのです。
 このように、陰の世界の知識、すなわち失敗経験を伝えることは、教育上大いに意義のあることですが、残念なことに失敗そのものには、「回り道」「不必要なもの」「人から忌み嫌われるもの」「隠すべきもの」などといった負のイメージが常につきまとっています。そのせいか、いまの日本には、失敗体験が情報として積極的に伝達されることがほとんどありません。(p.14-16)

 原発事故のこともあり、刺さる部分が多い…。あとは、失敗を想像すること自体が、「縁起が悪い」とか言われてそもそも避けられているわけで、準備することだってできやしない。井沢元彦さんが言っている言霊信仰ですね。
 失敗学を使ったワークショップとかってあるのかなあ。どんなふうにできるかなあ、とか考える。

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