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小笠原諸島の歴史をあまりに知らなかったな…→クレオール主義なつかしい

 Synodosで紹介されていて興味を持った、石原俊『近代日本と小笠原諸島 移動民の島々と帝国』を読了。沖縄は琉球処分とか、いろいろと日本史で習った気がするけど、小笠原諸島ってそういえば、いつから日本なの?とかまったく知らないな、と思って。

 最初に書かれている部分からして、「え?そうなの!?」ということがたくさん。

 小笠原諸島は移動民の島々である。
 小笠原諸島は記録に残っている限り、短期寄留者がいたケースを除いて、19世紀初頭まで「無人島」であった。1830年ハワイ諸島オアフ島から航行した約25人の男女が、はじめて長期間の入植に成功する。それ以降、経歴も生業も雑多な人びとが、世界各地から寄港・上陸または移住・入植してきて、この島々を拠点とする社会的・経済的実践を繰り広げていた。後に詳しく見るが、かれらはその生が定住――あるいは定点(始点)から定点(終点)への移住――を軸に形作られていないという意味において、広義の移動民であった。
 だが小笠原諸島は、イギリス帝国・アメリカ合衆国徳川幕府などによる領有競争を経た後、主権国家としての日本帝国が形作られていく過程で、「北海道開拓」や「琉球処分」と並行して、1875年、「小笠原島回収」の名において本格的に占領され始める。そして、それまでに世界各地から移住してきていた「外国人」は、日本帝国の出先機関の説諭と命令によって、1882年までにすべて臣民として帰化させられ、「帰化人」と呼ばれるようになっていった。他方、明治政府の法的バックアップの下で、その時点までに日本帝国の主権下にあった「内国」――伊豆諸島を含む――からの殖民が開始された。
 しかし現在の日本国内では、日本帝国による小笠原諸島の占領の過程は、北海道や沖縄諸島の占領の過程と比べてさえ、研究者を含む大多数の人びとから忘れられている。(略)
 こうした現状の中で、本書は、まず次の点を強調しておかなくてはならない。第一に、小笠原諸島には、日本帝国による本格的な占領が始まる以前に、世界各地を出自とする人びとが移り住んでいたことである。第二に、この島々を拠点のひとつとして、北西太平洋の広い海域に及ぶ自律的な社会的・経済的交通が展開していたことである。そして第三に、日本帝国が北海道・千島列島沖縄諸島などの島々を巻き込んでいった19世紀後半の一連の過程の中に、忘れられがちな小笠原諸島の占領も位置付けられるべきことである。(p.29-30)

 「第一に、小笠原諸島には、日本帝国による本格的な占領が始まる以前に、世界各地を出自とする人びとが移り住んでいたことである。」って、そんなところがあったのだね…。言語的にもクレオール言語も使われていたらしい。すごい、まったくしらなかった。

 その後、ずっと歴史を追って丁寧に説明されていくのだけど、今は完全に東京を通じてしか世界に繋がっていないわけで、歴史的に本当に世界との繋がり方が変わった島なのだなあ、と。おがさわら丸の写真のキャプションの文章が、まさにその通り、という感じです。

 父島・二見港に入港するおがさわら丸。現在、小笠原諸島と諸島外を結ぶ定期路線は、東京都港区・竹芝港と二見港を往復するおがさわら丸の航路のみである。小笠原諸島に住む人びとは、日本国内ばかりか世界のどの場所に向かう場合でも、この航路でいったん東京都心を経由しなければならない。「施政権返還」以降、かれらの移動を回路づけてきたこの交通路のあり方は、かれらを多方向的・複数的な関係の可能性から隔離してきたといえる(p.428)

 ものすごく分厚い本ですが…、とてもおもしろかった。

近代日本と小笠原諸島―移動民の島々と帝国

近代日本と小笠原諸島―移動民の島々と帝国

 あと、クレオールという単語にひさびさに本の中で出会って、SFCの頃に授業をとった、今福龍太先生の『クレオール主義』がめちゃおもしろかったなあ、と思いだした。久しぶりに読んでみようか。

クレオール主義 (ちくま学芸文庫)

クレオール主義 (ちくま学芸文庫)