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矢野久美子『ハンナ・アーレント 「戦争の世紀」を生きた政治哲学者』を読んだ

 矢野久美子『ハンナ・アーレント 「戦争の世紀」を生きた政治哲学者』を読了。2014年の刊行。2012年の映画「ハンナ・アーレント」を見て、ちょっと彼女について知りたいな、と思って読んだ。

「ハンナ・アーレント」を見た - 日々、想う。んで、記す。


ハンナ・アーレント 予告編 - YouTube

 あとがきにも書かれているけど、地味な映画(失礼…)ではあるけれど、非常に観客動員もしたということで、日経新聞にも取り上げられていたのを覚えている。

2012年には、ドイツのマルガレーテ・フォン・トロッタ監督による映画『ハンナ・アーレント』が公開され、2013年には日本でも大きな注目を集めた。アーレントの著書はほとんど日本語に翻訳されているが、難解なテクストが広範な読者を得ているとは言いがたい。映画公開までアーレントの名を知る人はそれほど多くなかっただろう。ところが、アイヒマン論争と思考する女性に焦点をしぼったこの映画は、多くの人びとの共感を得たのである。この映画の力に率直に感銘すると同時に、研究者のはしくれとして、自分はアーレントの言葉と人びとの橋渡しができているだろうか、と責任を感じる。(p.228-229)

 ハンナ・アーレントはアイヒマン裁判で多くの同胞から裏切り者扱いされて、友人たちもたくさん失って、というシーンが映画の中で描かれていたけど、あのへん事実なのね。それでも、語らなければならない、と思って行動した哲学者だったのかな、と思います。

アーレントは、「事実を語ること」の大切さを強調した。人びとが出来事を共有し、語り継ぐ言葉がなければ、世代を超えて持続すべき人間の世界は地盤を失ってしまう。現代世界ではこの「事実を語ること」そのものが、危機にさらされている。アーレントはそれを、20世紀の歴史に翻弄された彼女自身の人生において痛感していた。事実はさまざまな角度からの物の見方によって成り立っている。私たちの現実は、そうした複数の観点によって保証されなければならない。しかし、イデオロギーや結論ありきのロジックによって、現実そのものが蔑ろにされ、打ち消される事態を、歴史は経験してきた。しかも、彼女が目の当たりにした20世紀の破局的事態は、伝統的な語り方が通用しない、それまでの思考法では理解できない、先例のない出来事だった。(p.ii)

 原発然り、アベノミクス然り、集団的自衛権然り、いろいろなことが流れていっている感がする今の日本社会で、アーレントを読むことってとてもためになるのじゃないかな、と思う。一方で、耳が痛い言葉も多いけど。
 ↓こういうとことか。

アーレントは戦時中の体験から、「世界は沈黙し続けたのではなく、何もしなかった」と考えていた。大量殺戮が始まる以前の1938年の「水晶の夜」にたいする各国の言論上の非難は、難民の入国制限を進めるという行政的措置と矛盾していた。「ナチが法の外へと追放した人びとはあらゆる場所で非合法となった」のである。アーレントはナチの先例のない犯罪を軽視しているわけではけっしてないが、ナチを断罪してすむ問題でもないと考えていた。また、加害者だけでなく被害者においても道徳が混乱することを、アーレント全体主義の決定的な特徴ととらえていた。アイヒマンの無思考性と悪の凡庸さという問題は、この裁判によってアーレントがはじめて痛感した問題であった。(p.188)

 ↓こういうとことか。

「独裁体制のもとでの個人の責任」のなかで、アーレントは「公的な生活に参加し、命令に服従した」アイヒマンのような人びとに提起すべき問いは、「なぜ服従したのか」ではなく「なぜ支持したのか」という問いであると述べた。彼女によれば、一人前の大人が公的生活のなかで命令に「服従」するということは、組織や権威や法律を「支持」することである。「人間という地位に固有の尊厳と名誉」を取り戻すためには、この言葉の違いを考えなければならない。
アーレントは、ナチ政権下で公的な問題を処理していた役人は「歯車」であったかもしれないが法廷で裁かれるのは一人の人間である、と強調し、全体主義の犯罪性の特徴について論じている。全体主義下では公的な地位についていた人びとは体制の行為に何らかのかたちで関わらざるをえなかった。そうした人びとが「職務を離れなかったのはさらに悪い事態が起こることを防ぐためだった」と弁解する。仕事を続けたほうが「責任を引き受けている」のであり、「公的な生活から身をひいた人は安易で無責任な形で逃げだしたのだ」という主張である。それにたいしてアーレントは、「世界に対する責任」「政治的な責任」を負えなくなる「極端な状況」が生じうると述べ、次のように続けた。

政治的な責任というものは、つねにある最低限の政治的な権力を前提とするものだからです。そして自分が無能力であること、あらゆる力を奪われていることは、公的な事柄に関与しないことの言い訳としては妥当なものだと思うのです。(『責任と判断』)(p.201-202)

 個人で戦った、かっこいい人だなと思います。1963年7月に書かれたという、友人ゲルショーム・ショーレムの手紙への返事。

ショーレムは、彼女の本に見られる「冷笑的で悪意に満ちた語り口」に異議を唱え、それがユダヤ人の受難や悲劇にとってあまりにも不適切なスタイルであり「心の礼節」を欠くものだと批判し、「民族の娘」である彼女に「ユダヤ人への愛」が見られないことが残念だと述べた。アーレントは、自分は「民族の娘」ではなく自分自身以外の何者でもないと答え、さらには、自分が愛するのは友人だけなのであり、「なんらかの民族あるいは集団を愛したことはない」と書いた。また、政治における「心の役割」は真実を隠し、不愉快な事実を報告する者を責める状況にもつながると述べ、彼女自身の「大きな悲しみ」は見せるためのものではないとも伝えている。(p.199-200)

 あとがきでも書かれていますが、「理解したい」ことを突き詰めていくかっこいい姿が響く。著作は難しいそうだけど、『イェルサレムのアイヒマン』くらいは読みたいな、と思います。

アーレントは、学派などを形成することはなかった。「自分の仕事がおよぼす影響には関心がない」と語っていた。著作が大きな論争を引き起こしたが、彼女は影響をあたえるために書いたわけではない。「自分がやりたいことをやっただけ」であり、彼女の望みは「理解すること」だった。個人と個人のあいだの友情を信じた人であり、死後、友人たちによってアーレントとは<誰であったか>が語られたが、1980年代半ばまでは、著書も絶版となるような状態がつづいた。彼女の思想は、きわめて学問的でありながら、既成の領域には分類しがたい。(p.227)

イェルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告

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