佐藤雅彦さんによる「ステュディオス」
そういや、佐藤雅彦さんの「これも自分と認めざるをえない展」が終わってしまってるやん!ああ、ショック過ぎる…ぜったいに行こうと思っていたのに、忙しさで忘れてしまっていた…。教育者としての佐藤雅彦さんを尊敬しています。あんなに方法論やロジックや、そういった方向を僕が磨けていないということもあり、ものすごく高みにいる方ですけど。雑誌「美術手帖」で展示の中身や創られていく様子を見ていただけに、よけい残念なのです…。
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えりちゃん id:huili が絶賛し、コピーを持ち歩いているp.72は額に入れて飾っておきたいレベルだ。
教育をデザインする
僕が教育をやっている大きな理由の一つに、
ステュディオスという状態をつくり出したい、というのがあるんですね。
ステュディオスとはラテン語で、英語のスタディの語源です。
スタディというと日本ではお勉強だと思っている人も多いですが、
そもそもステュディオスの意味は、熱中している状態・夢中になっている状態のことです。
みんなで熱中してものをつくる場所をスタジオと呼んだり、一つのことを究めることを
スタディ(研究)と呼んだりしますが、それらもこのステュディオスが元です。
「熱中」や「あこがれ」が大事で、いじめなんてしている暇なんてない、みたいな場を、長男S氏にあげたいな、と思っています。仕事上でも、お客様にあたる子どもたちにこういうのをあげたい。これは齋藤孝さんや宮台真司さんも言っているものに近い。
本当のステュディオスの状態を知らないで、人との関係性だけで「ここにいていい」となると、
知っているだけの友達がやけに多かったり、テレビに出て一億人に知られているとか、
有名になることが、何者かになったかのような感じを与えるんですよね。
個で「熱中すること」を見つけられないなら、人と繋がっても何かが生まれるってことはない。人と繋がってても個性は生まれてはこない。
すごく夢中になって、
何かを体得したり具現化したりすることから自然に自己や個性は生まれてくるものです。
だから僕の教育は、教室という場であろうとテレビというメディアであろうと、
具体的なモノや自分の体を使ったワークショップや事例を多用し、
自分が本当に興味があることを発見する方法をベースとした授業内容・番組内容になります。
何者かにならなければならないという強迫観念を
全部はずした状態であるステュディオスから、僕は希望が生まれると思っています。
この一本びしっと通った筋を、僕はまだ見つけられていないよなぁ。