日々、想う。んで、記す。

プライドを持たない、節操を持たない、愛着を持たない、弱音を吐かない。

学ぶ意欲とスキルを育てる

市川伸一『学ぶ意欲とスキルを育てる いま求められる学力向上策』を読了。学力を「学んだ力」と「学ぶ力」に分けているのはその通りだよなあ、わかりやすいよなあ、と思いながら読んだ。
それから、「何のために学ぶの?」っていうことへの答えとして、「なりたい自己」と「なれる自己」を広げるためと答えたい(p.40)っていうのは、いいなあと思うわ。「なれる自己」のためだけに毎日を過ごすのは違うと思うし、でも、「なりたい自己」だけのためにすべてをかける、というわけにはいかないこともあるじゃない?例えば、「おれ、バンドで食ってく」的な感じだとさ。おまえ…才能あんのかよ?みたいな話になるし。だから、「なりたい自己」と「なれる自己」の両方を広げてほしいよ、子どもには。

子どもがたまたま飛びついたものに、「ああ、それはいいからがんばりなさい」というだけだと、親にしろ、先生にしろ、それは無責任だと私は思います。子どもがサッカー選手になりたいと言ったとする。さほど運動能力も高くない子がテレビでサッカーを見て、「僕、サッカー選手になる!だから、別に数学はいらないよ」と。そこで、「じゃあ、その道でがんばりなさい」と言ってしまう親は無責任です。
「なりたい自己と、なれる自己を広げる」という言い方を私はしますが、いろいろな大人の姿を見ていないのに、たまたま、「あれがいいや」といって安易に飛びついてしまうということが子どもはあるわけです。ですが、もしもなれなかったときに、その子はどうなるのか。「タレントになる」と言い出したとしても、もっとさまざまな道もあるということを、子どもの頃にたくさん見てほしい。(p.196)

大賛成。
あと、総合学習でうまくいく学校の特徴として、先生方も楽しんでいる、というのを挙げています。ああ、そうだなあ、と思い当たることあり。

実際、総合学習でいうと、うまくいっているというところは、先生自身が感動して、その授業を楽しんでいる。社会科の授業でいろいろな人の生き方を子どもたちに見てもらうということで、一般社会人の人と子どもたちが交流するという実践を見たことがあるんですが、一番楽しんでいたのは先生です。
先生自身は、学校というところにずっと勤めていて他の社会を知る機会が少ない。授業で、エンジニアの人、農家の人、いろんな人を呼ぶと、そういう方々から先生も学ぶことができる。そして、そういう先生の姿を見ていると、子どものほうも一緒になって興味を持っておもしろがることができるんですよね。(p.192)

先生方も、学ぶことを楽しまないと、子どもたちに「勉強しろ」と言えるはずなんてないと思うのです。あ、これはまあ親も一緒だけどね。【→メモ:学ぶ意欲とスキルを育てる

学ぶ意欲とスキルを育てる―いま求められる学力向上策

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