日々、想う。んで、記す。

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『かごめ歌の暗号』、おもしろい!(当人たちにとってはきわめて悲惨だが)

 関裕二『かごめ歌の暗号 わらべ歌に隠された古代史の闇』を読了。古代史ミステリー、大好きなのです。大学生の頃、友達とのふとした会話から、「かごめかごめは怖い歌らしい」という話が出て、「そうなの?」と思って、図書館でいろいろ検索して関連書を探したのを思い出した。あの時は、宮本常一あたりまで追いかけたような気がする。その後、高田崇史の本を読むようになって*1、かごめ歌に関連する記述が出てこないかと、毎回楽しみにしていたっけね。
 この本では、かごめ歌をスタートにして、どんどん大きい話に誘われていきます。「え?かごめ歌は?」と思わずに、話に乗っかっちゃうのがおもしろいでしょう。
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 最初こそ、籠神社についての話などを聞きつつ、行ってみたいなあ、とか思ってたけど、テーマはどんどん広がっていきます。

籠神社は、国宝「海部氏系図」を神宝とし、天皇家にはない独自の伝承を守り続けた神社として知られ、また、のちに触れるように、海部氏と周辺の氏族は、八世紀の『日本書紀』編纂とほぼ同時に没落していった者どもで、その末裔が神社や伝承を守り続けたことから、正史から抹殺された歴史の真実を、おとぎ話や神話に仕立てて後世に残そうとした疑いも拭いきれないのである。
各地の神社仏閣の縁起書や、あるいは民間の説話が中世に噴き出したのは、古代社会の中で敗れ去った者どもの恨みが、貴族社会の没落と共に堰を切ったようにあふれ出たこともひとつの原因であった。一見して荒唐無稽と思える伝説の裏側にも、思わぬ拾い物がのこっているものである。」(p.93)

 そうだろうなあ、神社仏閣の縁起書や民間の説話は、残そうと思ったけど、書物の形なら抹殺されただろう歴史がベースになっているのが多いのだろうなあ。本当に、古代史ってこういうのが楽しいよね。歴史上の本人たちは、土地を取られたり皆殺しにされていたり、シャレにならんことになっているわけで、「楽しい」っていうのはどうかとは思うけれど。
 「『竹取物語』は明らかに、藤原一族の権力への執着に対する非難の書であり、手段を選ばぬその手口に対する糾弾の書であった。」(p.238)というような記述もあるし、実際に『竹取物語』の中身も読み解いていきます。やっぱり、このへんも楽しい。

 話はさらに進んでいきます。物部と蘇我と藤原。大和と出雲。じゃ、ヤマトって誰だったの?邪馬台国は?と。出雲とヤマトの国譲りのところも非常におもしろかった。

ヤマト建国を巡る主導権争いは、出雲(日本海)と吉備(瀬戸内海)の確執に発展し、トヨは裏切られ、北部九州を追われた。出雲は没落し、ヤマトには吉備(物部)の王家がいったん誕生したのだろう(崇神天皇)。ところが、ここから天変地異と疫病が蔓延。ヤマトは恐怖のどん底に突き落とされたのではなかったか。「祟るトヨ」の恐怖である。
ヤマトの吉備は、ここで、「王権を出雲に譲る代わりに、吉備は実権を握る」という妙案を考え出したのだろう。
こうして南部九州に逼塞していた「トヨの子(あるいは末裔)=神武」をヤマトに招き、ヤマトの王に押し立てた。けれども神武は、「祟る神を鎮めるための祭祀王」である。
こうして吉備(物部)は流通の要である河内を支配し、政治と経済を支配していくのである。(p.185)

 日本古代史、すげえな…。そして当時から続いている、なんていうか国家の二重性というか、これはもう国民性だし、お家芸よね…。
 あー、もっともっとこのテーマの本、読んでみたい!

*1:これも大学の頃、友人に『六歌仙の暗号』を薦められたのがきっかけだったな。