日々、想う。んで、記す。

プライドを持たない、節操を持たない、愛着を持たない、弱音を吐かない。

カエサル、ルビコンを渡る=カエサル最強過ぎ

 塩野七生ローマ人の物語 IV ユリウス・カエサル ルビコン以前』を読了*1カエサル、かっけえ。あれよあれよというまに、ガリア戦記ガリア戦記ってそういう意味だったのか…。っていうか、軍人としても最強で、さらに文筆家としても戦記物を歴史に残す…。カエサル、すげえな。あれよあれよという間に、ドーバー海峡を渡ってイギリスに行きましたけど…。ローマの歴史、ハンパないな。
 というか、すみません、ルビコンを渡る意味をまったく勘違いしてました…。ルビコン川を渡って、ローマの外へ外征に行ったのだとずーっと思ってたよ…。違うのか。ガリアからローマ国内に軍隊を解散させずに入ることが国法として禁じられていたのを、それを破って川を渡った…って話なのか。ああ、恐ろしく薄っぺらい理解だった、世界史よ…。先生、ごめんなさい*2
 さあ、V巻は「ルビコン以後」、ポンペイウスとの内戦です!

ローマ人の物語 (4) ユリウス・カエサル-ルビコン以前

ローマ人の物語 (4) ユリウス・カエサル-ルビコン以前

ローマ人の物語〈8〉ユリウス・カエサル ルビコン以前(上) (新潮文庫)

ローマ人の物語〈8〉ユリウス・カエサル ルビコン以前(上) (新潮文庫)

ローマ人の物語〈9〉ユリウス・カエサル ルビコン以前(中) (新潮文庫)

ローマ人の物語〈9〉ユリウス・カエサル ルビコン以前(中) (新潮文庫)

ローマ人の物語〈10〉ユリウス・カエサル ルビコン以前(下) (新潮文庫)

ローマ人の物語〈10〉ユリウス・カエサル ルビコン以前(下) (新潮文庫)

 しかし、こんなに長く書かれている物語を、世界史っていう教科は残酷なほどに短く終わるよね…。とっても残念だ…。しかたないんだけどさ、でも、残念。こういう長い物語から学べることってたくさんあると思うのだよね。例えば、カエサルガリア戦記とかでも、相手を許すし、下調べもしっかりするし、計画的に侵攻していくし、こういうのって、何かを成し遂げるのに大事じゃない?
 会戦などを振り返っても、そう思うし。そういうのが学生たちに何か考えるポイントを残してくれるような気がするんだよなあ。別にこれは西洋史だけの話じゃなくて、日本史の中でも同じように考えるきっかけになる戦記物とかはたくさんありそうだ。

生涯を通じて彼(カエサル)を特徴づけたことの一つは、絶望的な状態になっても機嫌の良さを失わなかった点であった。楽天的でいられたのも、ゆるぎない自信があったからだ。そして、男にとって最初に自負心をもたせてくれるのは、母親が彼にそそぐ愛情である。幼児に母の愛情に恵まれて育てば、人は自然に、自信に裏打ちされたバランス感覚も会得する。そして、過去に捕われずに未来に眼を向ける積極性も、知らず知らずのうちに身につけてくる。(p.29)

 こういうところとかさ、

カエサルという男は、「女」や「金」の項でも如実に示されたように、一つのことを一つの目的でやる男ではないのである。
つまり、私益は他益、ひいては公益、と密接に結びつく形でやるのが彼の特色である。なぜなら、私益の追求も他益ないし公益を利してこそ十全なる実現も可能になる、とする考えに立つからである。
この考えは、別にカエサルが天才であったから考えつき実行できたことではなく、われわれ凡人の多くも、意識しなくても日々実行していることである。自分自身のやるべきことは十全にやることで、私益→他益→公益となることによって。なぜなら、人間の本性にとって、このほうがよほど自然な道筋であるからだ。ルネサンス時代の政治思想家マキアヴェッリも、この考え方の“市民権”を強く主張した一人であった。つまり、公人であろうと、その人の私益の追求は認められるべきである、と。なぜなら、私益の追求を公認することこそが、公益の実現にも、より健全でより恒久的な基盤を提供することになるのだ、として。(p.154)

 こういうところとかさ。こういうのをうまいこと、エンタテイメントにして(小説だと読めない/読まない人が多かろうから)、学校に届けることができればいいのにな、ととっても思う。それが歴史に学ぶことであり、歴史を疑似体験して、経験にして知恵にしていくことだと思うのです。

*1:今は文庫本も出ているけど、文庫本だと3分冊。図書館だと3冊を順番になんてゲットできないので、単行本で読んでます

*2:何先生だったっけな…忘れてしまった…