人生初・佐賀
起きた。風邪もだいぶ良くなってきた感じ。さあ、仕事しよ。今日のミーティングの準備を。今日は朝から福岡経由で佐賀へ移動します。人生で初の佐賀。九州でさえ、最後に行ったのは福岡。それも最後に行ったのは2000年8月とか、かな?ひさしぶりだ、九州。
さて、ミーティングの資料も作った。早朝からアジェンダのメールもした。で、エアチケットの手続き票を印刷して出発。羽田空港に向かう京急ってなんか嬉しい。いつも使わない路線で、空港に行く時しか使わないから、飛行機イメージになってるからかな。今回は初めてスカイマークです。10分遅れだけど…、料金お安め。これくらいなら十分だなあ。アクシデントのときの対応力は大きい航空会社の方がいいのかもしれないけれど。
博多駅まで出て、特急みどりに乗って、佐賀まで。博多駅からJRって、はじめてだな。博多から佐賀まで45分。近いのね。九州の地理感覚がなさすぎるわ。
知らない路線。どっちの方角に走ってるのかもわからないのが楽しい!Googleマップとにらめっこしながら、車窓の外を見る。楽しい。乗り換え案内で荒尾とか、八代とか、前の会社の教室があった地名が出てくるのも懐かしいなあ。
太宰府も博多からあんなに近いのね!線路沿いにあった水城跡、行ってみたいなあと思った。Wikipediaで「水城跡」を調べてみると、由緒正しいじゃないですか。博多は朝鮮半島、中国大陸へ繋がる道だなあ、と実感。
- 663年、日本は百済に味方して朝鮮半島で唐・新羅連合軍と戦ったが大敗した(白村江の戦い)。
- 当時称制を執っていた中大兄皇子は、唐・新羅がさらには博多湾から大宰府に攻め込むことを想定し、万一の場合に備えて翌664年に水城を築かせた。
- 翌665年には北九州から瀬戸内海沿岸にかけて大野城、基肄城、長門城などの古代山城(朝鮮式山城)を築かせた。
- 667年には都を内陸部の近江大津宮に遷した。
- その翌年の正月に中大兄皇子はやっと即位した(天智天皇)。
- 築城にあたっては、亡命百済人の憶礼福留(おくらいふくる)、四比福夫(しひふくふ)が建設の指揮を執った。
一度、行ってみたいなあ。
しばらく乗っていると、鳥栖駅。鳥栖といえば、サガン鳥栖。スタジアム、駅から近い!博多からならすぐだね!アウェー戦を見に来るサポーターに優しいスタジアムだなあ。雰囲気が、ブラジルでインテルナシオナルの試合を見に行ったスタジアムに似ている*1
鳥栖駅で横に停まっていた赤い電車が可愛かった。赤い電車、好き。京急とか、近鉄電車とか(昔はもっと赤かったよね?)
佐賀で待ち合わせをしている仕事の相手の方から、「もう少ししたら右側に吉野ヶ里遺跡が見えてきます」とメールをもらったので、右側をジーっと見る。おお、ほんとだ、これか!吉野ヶ里遺跡!これ、嬉しい。
さて、雨の佐賀に到着。佐賀城が今は佐賀県庁になっているんですね。福井県と同じだ。佐賀城は江藤新平の佐賀の乱で戦場になっているのね。弾痕が残っている門が残っているのだそうな。大隈重信記念館とかもあるらしい。行きたいなあ。
観光モードおしまい。仕事モードにチェンジ!
仕事はいろいろと思い通りにならない部分もあり。まあ、そういうこともあるよね…。仕方ないよ。
仕事がそんな感じだったので、ホテルに予定よりもだいぶ早くチェックイン。お昼をランチミーティングにして佐賀牛をちょっと食べられたので、夕食はホテルで一人で質素に(まあ、あんまり食に関心がないからいいんだけど)。ちょっと佐賀駅の方面までブラブラと歩いたり。
さて、切り替えて仕事しよかな。あ、まずは明日のエアチケットのことからか。明日の関東地方の大雪、20年ぶりっていうことは…あのSFCの坂の下からバスが上がれなくて、あちこちに車が置いて行かれて、シータ館だったかが開放されて乾パンがふるまわれたという、あれ以来の雪ってことなの…。っていうか、飛行機で帰れないよね、きっと…。