豊田穣『海軍軍令部』を読んだ
豊田穣『海軍軍令部』を読了。陸軍参謀本部にあたる、海軍軍令部。いろんな映画などでも、暴走する陸軍とスマートな海軍、的な書かれ方をしていることも多いのだけど、とはいえ戦略的には失敗しているわけで、そのあたりを知りたくて読んでみた。
- 作者: 豊田穣
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1987/03
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログを見る
- 作者: 豊田穣
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1993/12
- メディア: 文庫
- この商品を含むブログを見る
そもそも、軍令部と総司令部との関係があんまりよく分かってなかったんだけど、それについてはあとがきにわかりやすい説明があったので、下に抜き書き。
軍令部を国家における立法機関とすれば、連合艦隊は行政機関といってよいかと思う。普通の国では立法機関が定めた法律を、行政機関が施行する。しかし政府が法律を立案上程することももちろん許されている。この政府立案に似たものが、太平洋戦争ではとくに初期に非常に多く、このために連合艦隊と軍令部が論争することが多かった。これは決して悪いことではないが、軍令部はこのためにしばしば難しい立場におかれ、連合艦隊司令部と対決するような立場に追い込まれたことも少なくはなかった。
この頭が二つあるような態勢になったのは、連合艦隊に山本五十六という先見と先制を誇る大提督がいたからである。
山本は日露戦争後以来の艦隊決戦主義(漸滅作戦)を斬新、俊敏ならずとして、開戦劈頭、真珠湾攻撃を行ない、ハワイ―サンフランシスコの線で、速戦即決、早期決戦の中央突破作戦を主張し、戦闘正面が二つに割れたが、結局、永野総長の採決で、まず真珠湾攻撃、ついで米豪分断作戦というように艦隊を二つに割ってしようするようになった。
これはどう考えても有利な作戦の展開とはいえない。悪くとれば、軍令部は連合艦隊司令部に押されながら、統帥部としての面子を保つために、米豪分断作戦を遂行することにしたとも受けとれる。(p.435)
結局、大和をはじめとして巨艦を作っていったものの、それらは航空戦で破れ、以後戦艦そのものが姿を消していることを考えると、イノベーティブなことをするのが苦手になってきた組織が、まさに戦争のやり方が変わるところに当たってしまったのだなあ、と思ったり。次々と船が沈んでいく様子は、けっこうつらいものがあります。*1
NHKスペシャルで追いかけた軍令部・参謀たちの振り返りもよかったなあ、と思い出した。→
NHKスペシャル取材班『日本海軍400時間の証言 軍令部・参謀たちが語った敗戦』 - あとあとのためのメモ集
- 作者: NHKスペシャル取材班
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2011/07
- メディア: 単行本
- 購入: 3人 クリック: 45回
- この商品を含むブログ (16件) を見る