日々、想う。んで、記す。

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『チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷』を読んだ

 塩野七生チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷』を読了。『ローマ人の物語』が終わって、塩野七生作品をさらに進めて読んでいこう、と思ったので、初期の作品を手にとってみた。

十五世紀末イタリア。群立する都市国家を統一し、自らの王国とする野望を抱いた一人の若者がいた。その名はチェーザレ・ボルジア。法王の庶子として教会勢力を操り、政略結婚によって得たフランス王の援助を背景に、ヨーロッパを騒乱の渦に巻き込んだ。目的のためなら手段を選ばず、ルネサンス期を行き急ぐように駆け抜けた青春は、いかなる結末をみたのか。塩野文学初期の傑作。

 マキャベリズムの『君主論』のモデルになってるのはこの人か。目的のためなら何でもするな、という凄みもあるけど、自分の時をじっと待つところとか、かっこいい。最期への転落は、その反動もあってかなしいが。

チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷 (新潮文庫)

チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷 (新潮文庫)

 あとがきだったか解説だったかが、沢木耕太郎。これがよかった。以下、抜き書き。

マキャヴェッリが『君主論』で主張していることのひとつに、支配者は残酷を恐れてはならぬということがある。中途半端な寛容さや憐れみぶかさがどれほどの悲惨を生み出すことか、というのだ。
《たとえば、チェーザレ・ボルジアは、残酷な人物と見られていた。しかし、この残酷さがロマーニャの秩序を回復し、この地方を統一し、平和と中世を守らせる結果となったのである。とすると、よく考えれば、フィレンツェ市民が、冷酷非道の悪名を避けようとして、ついにピストイアの崩壊に腕をこまねいていたのにくらべれば、ボルジアのほうがずっと憐れみぶかかったことが知れる》
この逆説の中に、マキャヴェッリの政治観、人間観の中核がある。塩野七生の政治観、人間観は、それとまったくイコールではないが、少なくともその逆説を許容する性質のものであることは確かなようだ。それだからこそ、『ルネサンスの女たち』の中で、チェーザレの政治を《善悪の彼岸を行く壮大な政治》と呼ぶことに躊躇しなかったのだ。
ここに、チェーザレをなぜ書こうとしたのかという、二つ目の理由を見出すこともあるいは可能であるのかもしれない。すなわち、日本における政治とは、実現可能性のない理想主義的な目的を声高に叫ぶことか、目的のないその場かぎりのアルテを意味するかのどちらかでしかないが、そのような政治観にならされた日本の知的風土に、チェーザレ・ボルジアが体現していた政治の姿を提出することで、何らかの衝撃を与えようとしたのではないか、と考えることができるからだ。(p.408-409)

 「日本における政治とは、実現可能性のない理想主義的な目的を声高に叫ぶことか、目的のないその場かぎりのアルテを意味するかのどちらかでしかない」…アルテは「Art」。まったく、日本の政治はこれだよなあ。狭い範囲での政策にしてもまったくそうだと思うのです。そこへの塩野七生さんの斬り込み、なのかもなあ。ちょっと前に読んだ本の中にあった、政治家へのコメントを読んでもそう思ったので、沢木さんのこのコメントは正しいと思うなあ。

 手段を選ばない政治家と言えば、立命館の政策科学部を受験しようと思った20年くらい前に、学校案内で紹介されてた、シュテファン・ツワイク『ジョゼフ・フーシェ』もすごかったなあ。フランス革命前後で、あらゆる統治者のもとでも生き残った政治家の話。政治は結果を出せ、綺麗事だけじゃない、というメッセージのように思ったっけな。

ジョゼフ・フーシェ―ある政治的人間の肖像 (岩波文庫 赤 437-4)

ジョゼフ・フーシェ―ある政治的人間の肖像 (岩波文庫 赤 437-4)