日々、想う。んで、記す。

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『未完のファシズム』、おもしろかった!

 片山杜秀『未完のファシズム 「持たざる国」日本の運命』を読了。ずっと気になっていた本。なぜなら、タイトルの「未完のファシズム」って何?と思ってたから。でも、それよりもサブタイトルの「持たざる国」の方が、ああなるほど、と思わされる軸だったな、と思った。

 世界最終戦争をとなえていた石原莞爾は、「持たざる国」である日本を、どうやって「持てる国」にするか、を考えて満州国を造った、と。まあ、手段としてそれはどうなの?とは思うけれど、少なくとも、現状の問題点とその解決策としてのパッケージではあったのだなあ、と。あまりしっかり石原莞爾のことを読んでいなかったから、勉強不足だったな。
 石原莞爾とは問題意識は同じだったけれども、アプローチは真逆になった小畑敏四郎は『統帥綱領』を作る。でも、石原も小畑も、結局は満州国から、統帥綱領から、切り離されてしまい、それらはもともとの目的とは違う目的のために運用されていく、と。うーん…。

 しかし満州国の五箇年計画は、少なくとも石原莞爾のつもりでは世界最終戦争のための何十年かの計の第一歩にすぎませんでした。石原構想では、続く第二次五箇年計画と合わせての10年でとりあえず、国境線を挟むソ連に対して満州を防衛できるだけの国力が備わるという計算でした。経済規模において米ソに拮抗し、アメリカとの最終戦争にも勝ち抜ける「日満経済ブロック」の夢はまだまだ遠かったのです。それなのに五箇年計画の五年目の1941年12月に日本は対米戦争を始めてしまいました。1970年のはずだったのに。石原の構想からすればありえないことでした。
 そのとき石原は何をしていたのでしょうか。関東軍参謀として満州建国に携わり、参謀本部の中枢で日本の将来を導こうと八面六臂の活躍をした彼は、政治に首をつっこみたがり、自分の特異な思想を押し通そうとする、軍人にあるまじき軍人として敵を増やしてゆきました。大いに嫌われました。中央の人事から外され、閑職に回されて、『世界最終戦論』を京都で講じた翌年の1941年3月には予備役に編入されました。12月8日の開戦の報せは講演のため高松に行こうと乗っていた宇高連絡船の中で聞いたといいます。
(略)
 石原莞爾は日本を「持てる国」にするまで何十年か長期の大戦争をしてはいけないと考えました。小畑敏四郎は、日本はどこまで行っても「持たざる国」なのだから「持てる国」と正面きっての大戦争をやはりしてはいけないと思いました。
 でも彼らのヴィジョンは、軍の中で軍事の本分を尽くしているだけでは達成される性質のものではありませんでした。どこの国とどういうタイプの戦争をするかしないかは結局かなり政治の問題だからです。石原も小畑も、あるいは石原の先輩格の永田鉄山も、それぞれの立場から政治に働きかけられないかと知恵を絞りました。けれども大日本帝国の法制度ないしは政治文化は、軍人の政治的振る舞いをはねつけるように出来ていました。
 思想的軍人は排斥される運命にありました。そうやって大勢が消えてゆきました。満州国は石原の手を、『統帥綱領』は小畑の手をそれぞれ離れ、生みの親が与えたかった歴史的使命とまったく無縁の道を歩き出しました。(p.204-203)


 総力戦の時代になっていたことを認識していなかったわけではなくて、認識をしていたけれども、日本は「持たざる国」であり、そこから出発せざるを得なかった、ということ。そして、そのためには、実は日本の明治以来の政府はそこそこうまく機能していて、機能していたからこそブレイクスルーができなかった、ってことか。

 まったく日本ほど近代の総力戦に不向きな国はなかったでしょう。総力戦に不可欠な工業資源が決定的に足りない。人的資源も不十分である。おまけに明治憲法体制には総力戦を阻む構造が備わっていた。政治力の集中を嫌う。天皇大権を侵害するとして退けたがる。
 そういう国だというのに、日本は小国というわけでは決してありませんでした。中途半端に大きかった。第一次世界大戦でも勝馬に乗れてしまった。日本の世界地図上の場所も問題だった。「東亜の盟主」として君臨したくなるような、あるいは覇を唱えるくらいのコワモテの姿勢で行かなければ自国の安全を保てぬような地政学的位置に、近代日本は存在していた。背伸びせずに身を潜めていることも出来たかもしれないけれど、それはそれであまり現実的な態度ではなかったでしょう。
 背伸びをしなくては国の発展はない。列強の手がアジアに伸びてくる。それをはねつけるにしても対等に付き合うにしても、背伸びしないわけにはゆかない。第一次世界大戦後の世界が次なる総力戦の準備期に突入したとすれば、日本も準備しないでは居れない。そこでまたどうしても背伸びすることになる。
 しかし背伸びには危険が伴う。背伸びをすれば、しゃがんているよりも転ぶ率は上がる。転んで打ち所が悪ければ死んでしまう。国が滅びることもある。背伸びするには、よほどの警戒心が必要だ。石橋を叩いて渡らなければならない。石橋を叩くには石橋を叩く体制が要る。石橋を叩いて確かめ終わるまでは誰にも渡らせない。責任政治であり強力政治である。今の日本の身の丈が如何ほどで、今の日本に何が出来て何が出来ないかをはっきり認識する。したいことがあるとすれば、そのために必要な元手や時間をよく慮る。現実的な選択なのかと何度も何度も反省する。無茶をしそうな人があれば、ちょっと待てよと袖を引く。そのくらいでないと背伸びはできない。(p.331-332)

 うちの会社も、「持たざる」会社だ。そのなかで、何をどうする?っていうことと考えがつながっちゃったりもして。
 ひさしぶりに刺激的な読書でした。楽しかった。