人が変わるしかないじゃないかと思う
ガザの様子を、ニュースで、Twitterで、Facebookで、見かける。ショッキングなものもあり、どれが本当かとかすでにわからなくもあり。
イスラエルのテルアビブで、ガザ爆撃に抗議する追悼・抗議集会が開かれた。イスラエル市民も声を上げている!#ガザ ★In Tel Aviv, thousands protest http://t.co/4wekS4uoEJ pic.twitter.com/m0DhfGbyIO
— Katsuaki Sakai (@beyondaki) 2014, 7月 27
抗議とかも見て、イスラエル…むむ。と思う。イスラエルの企業とのつながりができて、一緒に居酒屋だって行ったし、一緒に寿司屋も行ったし、今でも飲み行ったり、ご飯を食べたり、1年に1回はかなり濃密に近いところにいる(アニュアル・カンファレンスがあるから)。でも、そこで会っている僕のイスラエルの友人たちと、いまの軍事行動は正直ちっとも繋がらない。戦争って、外交って、そういうものなんだと思う。だったら、それを止めるのは、政府ではなくて、一人一人の感情しかないのかな、と思う。
司馬遼太郎が、司馬遼太郎『街道をゆく 耽羅紀行』の中で、「他民族への友情などという抽象的な感情は存在せず、個人に帰せられてしまうのではないか。」と書いているのだけど、僕もけっこうそう思っている。
結局、個人としてイスラエル人をパレスチナ人を、どれだけ知っているか、その繋がりの数を多くして、繋がりを太くして、ということが、結局はいちばんこの状況を止められるんじゃないか、と思ったんだ。そうした方向からしか、世界を平和にすることはできないと思って、僕は教育業界に入ったんだよな。
この後、ハフィントン・ポストで、ファレル・ウィリアムスの「HAPPY」を絡めての記事が出ていた。いいな、と思ったので、リンク。
ガザでも、イスラエルでも『HAPPY』が踊られているのに【動画】