日々、想う。んで、記す。

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『熱狂なきファシズム ニッポンの無関心を観察する』を読んだ

 想田和弘『熱狂なきファシズム ニッポンの無関心を観察する』を読了。書店でタイトルを見たときに、「ああ、まさにそうだなあ、こわいなあ。」とぼんやりと思っていた不安をそのまま言葉にしていたのにびっくりしたのを覚えている。だんだん、ちょっとずつ変わっていって(変えられていって)、気づけばずいぶん遠くに来ている、みたいな感じになって、日常は消えちゃうのかなあ、と思っていて。で、読んでみた。

熱狂なきファシズム: ニッポンの無関心を観察する

熱狂なきファシズム: ニッポンの無関心を観察する

 想田和弘さんは、観察映画で「選挙」などを撮っている人だという認識だったのだけど、すごく危機意識が共感できて。無関心を減らすために、教育が変わらなきゃいけない、と思っている自分にマッチする言葉たちだなあ、と思いながら読みました。


 「熱狂なきファシズム」という言葉について。冒頭で語られています。

ファシズムに「熱狂」は必ずしも必要ないのではないか。むしろ現代的なファシズムは、現代的な植民地支配のごとく、目に見えにくいし、実感しにくい。人びとの無関心と「否認」の中、みんなに気づかれないうちに、低温火傷のごとくじわじわと静かに進行するものなのではないか。
僕は「熱狂なきファシズム」という造語に、そのような認識とステイトメントを込めたのである。(p.7)

 そしてまさに自分がぼんやりと思っていたことを、言い当てられた箇所。

橋下氏は安倍氏と同様、全体主義を志向する政治家である。安倍氏が自民党総裁になる前には、合流を模索した時期もあったようだ。しかし、橋下氏が安倍氏と違うのは、分かりやすい「敵」を公然と攻撃し、賛否両論を巻き起こし、その中で世論を味方に付けていくという手法を採ったということである。
そのため橋下氏の台頭過程では、民衆の熱狂が伴った。彼の姿は支持者にとっては唯一無二の救世主にみえた。しかし、そうでない人には典型的なファシストにみえた。だからこそ彼の政治は早くから「ハシズム」と呼ばれ、警戒されもした。
橋下氏が思ったよりも早く凋落していったのは、ストレートで、ある意味バカ正直な彼の手法が招いた結果ではないかと僕は思う。人々の熱狂を呼ぶ手法は、諸刃の剣なのである。
その点、安部自民党の戦略には古だぬき的な老獪さが感じられ、一筋縄ではいかない。橋下氏が一気に民主主義を破壊する「大火傷」を狙っていたのだとしたら、安倍氏らの狙いは低温火傷によってじわじわと民主主義を壊していくことだ。人々は「最近、なんだか変に熱いな」と違和感を感じつつも、はっきりと「熱い!」と悲鳴をあげるような高温ではないので、なんとなくやり過ごしている。しかし、このままいけば次第に全身が火傷に蝕まれ、気づいたときには後戻りがきかなくなっているであろう。
僕が危惧しているのは、そういう取り返しのつかない事態なのである。(p.9-10)


 こないだ見た「永遠の0」。

「永遠の0」、見たよ - 日々、想う。んで、記す。


 これも、僕は「うーん」と思ったのだけど、想田和弘さんも言及してました。

では『永遠の0』は、いったいどんな映画だったのか。
結論から申し上げると、困ったことに、よくできたメロドラマである。つまり、「泣ける映画」として、非常によくできているのである。そして、観客の多くが感情を煽られ涙を流しているうちに、ついうかうかと、作者の政治的メッセージを受容してしまうようにできている。極めて巧妙なプロパガンダ映画でもあるのだ。(p.275)

つまり、思い切って単純化するならば、本作は「だらけきった戦後民主主義の日本人」が「誤解され、忘れ去られた戦前・戦中の日本人」の「本当の姿」を発見し、その愛の強さや自己犠牲の精神に驚嘆すると同時に、自らの認識と生き方を改めていくという物語なのである。
観客は、エキサイティングなゼロ戦活劇と、主人公への感情移入によって理性を麻痺させながら、そういうメタ・メッセージを無意識に受け取り、エモーショナルに共鳴することになるのだ。(p.279)

永遠の0』で日本人に広く共有された戦争のイメージが、戦争の歴史を改ざんし、戦争のできる国を目指している安倍晋三首相や彼の賛同者たちにとって、有利に働くであろうことは間違いあるまい。それは平時には、安倍政権下での「熱狂なきファシズム」の進行を下支えする役割を担っていくであろう。そして「熱狂なきファシズム」は、日本が不幸にも戦争することになれば、「熱狂あるファシズム」へと容易に転化しうるのだ。(p.287)


 もっと、さまざまな言説に、エンターテインメントに、敏感になるべきだと思う。敏感になるためには、知識がなきゃいけない。基礎学力がなきゃいけない。無関心を減らすために、「知らせなきゃいけない」「おかしい?」と思う人を増やさなきゃいけない。急がないといけないのだ、と思わされます。急いで急いでやっても、そんなに急には変わらない。だからこそ、急がなきゃ。