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志水宏吉『「つながり格差」が学力格差を生む』、考えるきっかけをくれた本

 志水宏吉『「つながり格差」が学力格差を生む』を読了。学力格差については、「どうにかしたい」と思っているテーマなので読んでみました。いろいろと考えるきっかけにできそうなことを学べたので、メモ。

「つながり格差」が学力格差を生む

「つながり格差」が学力格差を生む

学習観の話

 まずは、ピアジェヴィゴツキーのまとめから(p.22-24)。僕は、きちんと教育理論とかを体系立てて学んでいないので、こうしてまとめられているのがとても参考になります。

「2つの学習観」というテーマ≒ピアジェヴィゴツキー(池田寛『学校再生の可能性』)

  • シンプルに言うなら、「伝統的な」学習観はピアジェから、「新しい」学習観はヴィゴツキーから来ていて、個人中心の前者から社会関係重視の後者への切り替えが今日求められている、ということ。
  • ピアジェは、思考の発達を、「感覚運動期」(0~2歳)、「前操作期」(2~7歳)、「具体的操作期」(7~12歳)、「形式的操作期」(12歳以降)の4段階で把握した。
  • 自分中心の見方・考え方をする幼児期から、具体的なものを媒介として考える児童期を経て、抽象的な思考を展開する青年・成人期にいたるとするピアジェの図式の影響力は圧倒的で、今日の学校教育の基本的な捉え方になっていると言って過言ではない。
  • ピアジェにとっての学習は、「個人の頭のなかで起こる」ことがら。
  • 冷静に論理的に物事を考えることができる個人が、ピアジェにとっての理想的な学習者である。
  • ヴィゴツキーは、思考や学習における他者との関係性に注目した。
  • 「発達の最近接領域」で有名。これは、「一人ではできない(わからない)」が、「他者(=教師や仲間)のサポートがあればできる(=わかる)」という行為の水準ないしは領域のことである。
  • ヴィゴツキーは、教育の極意を、一人ひとりの子どもの発達の最近接領域に適切に働きかけることにあると捉えた。
  • 「卒啄同期」


ピアジェの学習観が「すぐれた個人がすぐれた学習者になる」というものであるのに対して、ヴィゴツキーの学習観は「身近な他者の的確なサポート・援助こそが、学習の成功の鍵になる」というものである。もちろん、両面ある。しかし私は、圧倒的に後者の学習観の方が好きである。経験上、そちらの方がストンと胸に落ちる。「つながり格差」という発想は、そうした背景のもとに生まれたアイディアである。

学校再生の可能性 (大阪大学新世紀セミナー)

学校再生の可能性 (大阪大学新世紀セミナー)

学力の樹

 学力の定義の仕方はいろいろ。「学力向上」も成績だけの話ではないと思っています。学力を、一本の樹のメタファーで考えるモデルが紹介されていました(p.80-81)。なるほど、という感じ。以前、これに「土壌」もつけて、図を作ったことが仕事であったなあ、と思いだしました。

学力の樹(志水宏吉『学力を育てる』)
葉:知識・技能(A学力)
幹:思考力・判断力・表現力(B学力)
根:意欲・関心・態度(C学力)

学力を育てる (岩波新書 新赤版 (978))

学力を育てる (岩波新書 新赤版 (978))

学力と家庭環境の違い

 公教育に関わっている方々と仕事をするようになってきて、問題として意識しているのは、家庭環境の違い。家庭環境の違いって、どういうことから成り立っているのかっていうのを考えると、以下の3つが社会学で議論をされてきているようです。

これまで社会学の領域で議論されてきた家庭環境の違いの要素(p.96)

  1. 文化の違い
  2. 経済的豊かさの違い(=経済資本)
  3. 社会関係資本(=つながり)

 文化の違いはそんなに変えやすいもんではないし、経済的豊かさの違いも簡単に克服はできない気がする。であれば、「社会関係資本=つながり」がいちばん変えやすいところかも。特に、SNSみたいに「つながりやすさ」を助けてくれて、つながり続けることもできるようになってきているから。

「人的資本の形成に果たす社会関係資本の役割」(J・S・コールマン)(p.96-97)

  • 家庭内およびコミュニティ内での社会関係資本の豊かさが、高校からのドロップアウト率の低さに有意な影響を与えていることをデータによって証明。
  • 親と子の良好なコミュニケーションが、子どもの学力形成に関して積極的な役割を果たしているということを、実証データを用いて説得的に主張。

 学力格差を生み出す要因についての基本的整理(p.113-116)。

学力格差を生み出す要因についての指摘:

  1. 学力格差を生み出す要因の複合性
    • 高学力あるいは低学力を生み出す要因はなにかひとつのものに還元できるというものではない。
  2. 学力格差の背後にある階層的・集団的要因の重要性
    • 出身階層、集団にもとづく家庭環境の違いは学力格差を生み出す最大の要因。また、学校が果たしているラベリングとトラッキングの作用もある。
  3. 学力格差をもたらす心理的プロセスへの着目
    • 限定コードで話す子どもは精密コードで話す教師に心理的距離を感じる。それが学校で勉強することに対する苦手意識や忌避感を大きくさせるかもしれない。環境的要因が子どもの側にある種の心理的メカニズムを引き起こすことによって、学校文化からの離脱が促進されるという事態に注目すべき。
  4. 学力格差を是正するうえでの人間関係の積極的意義
    • 限定コードしか操れない子どもの家庭背景を教師が理解し、適切な指導を行えば事態は改善するかもしれない。教師だけでなく親や地域の人々、クラスメートや先輩後輩、その他の周囲の人々との関係が、子どもたちの学習に対するモチベーションを引き上げたり、引き下げたりすることによって、学力形成に多大な影響を及ぼす。

 社会関係資本概念について、源流となるだろう研究者の議論がまとめられています。ブルデューしか知らなかった…。

英語の文献も含め、テキスト的書物のなかで必ず社会関係資本概念の源流として紹介されるのは、3人の研究者の議論。(p.138-139)

  1. パットナム
  • 社会関係資本の充実によって、北イタリア諸州の政治システムがうまく民主的に運営されている、とする。
  • 社会関係資本とは、「スポーツや文化団体の数」「新聞購読率」「国民投票への参加度」などの指標によって測定し、中身は「相互信頼」「互酬性の規範」「社会的ネットワーク活動」の三者であるとした。
  1. ブルデュー
  • ブルデューの注目する社会関係資本は、「個人財」としての側面が強い。生き残りをめざす家族なり個人なりが、いかに戦略的に利用可能な資本を活用するかという点に関心。
  • 「持てる者」(支配層やミドルクラス)を主に取り上げていて、「持たざる者」(被支配層や庶民層)についての考察は少なかった。
  1. コールマン
  • カトリック系の私学では、一般のハイスクールと比べて、何倍も中退率が低いという事実。カトリックの教えを背景とする学校の価値的規範の中身およびそこに所属する人々の関係性の濃密さが、10代の生徒たちのドロップアウトを大きく抑止していた。すなわち、カトリックの学校は社会関係資本が豊かであるため中退率が低い水準にとどまっている、と。
  • 社会関係資本は次のように定義されている。「家族関係やコミュニティの社会組織に内在し、子どもや若者の認知的もしくは社会的発達のために有用な一連の資源である。こうした資源は人によって異なり、子どもや青年の人的資源発達において重要なメリットとなりうる」

 さらに、ウルコックによる「社会関係資本」のタイプ分け。

社会関係資本のタイプ分け(ウルコック)(p.145-148)

  • 結束型社会関係資本(bonding social capital)
    • 直系家族、親友、隣人のような、よく似た状況にいる似た者同士の絆からなるもの
  • 橋渡し型社会関係資本(bridging social capital)
    • さほど親しくない友人、職場の同僚といった、似た者との距離がより大きい絆からなるもの
  • 連結型社会関係資本(linking social capital)
    • コミュニティの完全な外にいる人々のような、異なる状況にある、似ていない人々に手を差し伸べるもの

 学校関係で何とかできそうなのは、「橋渡し型社会関係資本(bridging social capital)」と「連結型社会関係資本(linking social capital)」のところかな。ということで、学校の実践の方へと話が進んでいきます。

実際の学校での学力向上への試み

 志水さんは実際に大阪の公立学校に足を運んで調査をして、学力と社会関係資本について考えています。この調査は、とてもおもしろいと思いました。志水宏吉『公立小学校の挑戦』を参照するといいらしい。今度読んでみよう。

人と人とのつながりを大事にする両校の教育実践が、大量の社会関係資本を学校内そして学校の周囲に生じさせていることであった。(p.149)

公立小学校の挑戦―「力のある学校」とはなにか (岩波ブックレット (No.611))

公立小学校の挑戦―「力のある学校」とはなにか (岩波ブックレット (No.611))

 で、子どもたちの学力向上を目指すために、3つのルートがあるそうです(p.153-159)。

  1. 経済的に恵まれた家庭においては、さまざまな教育投資(塾やならいごとや私学への進学)を通じて、ダイレクトに子どもたちの学力を伸ばせる。
  2. 文化的に恵まれた家庭=教育環境が整っている家庭では、保護者の丹念な働きかけによって学力を豊かに育むことができる。
  3. 必ずしもその両者に恵まれていない家庭でも、子どもをとりまく人間関係(友人たちや教師との関係・家族や親族との関係・地域の人たちとの関係など)を豊かなものに形づくることを通して、学力を下支えすることができる。

 でも、1と2はなかなか学校の方からは働きかけできないじゃないか、と思うわけです。だから、有力な手立てとなるのは、3の方向性となります。

今日の小中学校に見られる学力格差を克服あるいは縮小するための有力な手立てとして、「つながりの再構築」を指摘できる。

具体的な筋道

  • 家庭への働きかけ、家庭支援
  • 地域への働きかけ、地域連携の推進(大阪では、「教育コミュニティづくりの推進」の取り組みをしている)
  • 学校(教師の児童生徒へのかかわり、子どもたち同士の声掛け、つながりの再構築)


 これらの施策がうまくいっている学校について考えるときに、「effective school 効果のある学校」と「school effectiveness 学力効果研究」についての説明(p.160-163)

  • effective school 効果のある学校
    • エドモンズ(R.R.Edmonds)アメリカの教育学者:「環境的に不利な立場にある子どもたちの基礎学力を下支えすることに成功している学校」こそが、「効果のある学校」と呼びうるという、独自の視点を打ち出した。
    • ひとつひとつの学校を分析の焦点に据え、それらの学校の特徴を包括的に描き出す。
  • school effectiveness 学校効果研究
    • 学校のどういった要素が子どもたちの学力形成に積極的に関与しているかを見つけ出そうという研究。
    • 要因間の断片的な繋がりを見出そうとしているもの

 で、「効果のある学校」の特徴はというと、エドモンズという人は以下のように言っているそうです。

エドモンズが見出した「効果のある学校」の特徴(p.164)

  1. 校長のリーダーシップ
  2. 教員集団の一致
  3. 安全で静かな学習環境
  4. 公平で積極的な教員の姿勢
  5. 学力測定とその活用

(出典)Edmonds, R.R., `Characteristics of effective schools', in Neisser, U. ed., The School Achievement of Minority Children, Lawrence Erlbaum Associates, 1986.

 さらに、「効果のある学校」研究の成果をまとめてあります。欧米の学校は授業中心だから、このまま日本に移植することは難しいかもなあ、と思いつつ、でも考える基準にはなるかな、と思います。

「効果のある学校」研究の成果(p.165)

  1. 校長のリーダーシップ
    • 確固とした目的意識に富む
    • 教職員の参加意識を引き出す
    • 専門職としての知識技能をもつ
  2. ビジョンと目標の共有
    • 統一的な目標設定
    • 実践の一貫性
    • 同僚性と協働
  3. 学習を促進する環境
    • 秩序だった雰囲気
    • 魅力的な学習環境
  4. 学習と教授への専心
    • 学習時間の最適化
    • 学業を重視する雰囲気
    • 学力形成への関心の高さ
  5. 目的意識に富んだ教え方
    • 効果的な学習組織
    • 明確な目標設定
    • 構造化された授業
    • 柔軟な学習指導
  6. 子どもたちへの高い期待
    • すべての子どもに対する期待
    • 子どもたちに期待を伝える
    • 知的なチャレンジを設定する
  7. 動機づけにつながる積極的評価
    • 明確で公平な生徒指導
    • 適切なフィードバック
  8. 学習の進歩のモニタリング
    • 子どもの進歩を的確にモニターする
    • 学校の学力水準を評価する
  9. 生徒の権利と責任の尊重
    • 子どもの自尊感情を引き上げる
    • 責任ある役割を与える
    • 自主性を尊重する
  10. 家庭との良好な関係づくり
    • 保護者が子どもの学習にかかわる
  11. 学び続ける組織
    • 学校における研修の充実

(出典)Sammons, P., Hamilton, J.& Mortimore, P., `Key characteristics of effective shools', Institute of Education and OFSTED, 1995.


 それから、大阪で効果があがった学校についてのポイントも書いてありました。効果があがった、というのは、学力下位層を下支えできた、というふうな意味です。

大阪での効果のある学校の特徴(p.168-170)

  • 「怒る指導」。先生がとにかく子どもたちを怒る。先生の言葉は「私たちは叱るのではなく、怒るんです。子どもたちの目線にまで下がり、こちらの感情をぶつけることによって、彼らの態度変容を迫る。多くの子どもたちが家庭に課題をかかえ、適切な自尊感情を育めていない現状をふまえ、真剣で深い情緒的なかかわりをもとうとしている。それが「しんどい層を支える」学校の基本スタンスを象徴している。
  • 徹底した学力保障のシステム。情緒的なつながりだけでは、「落ちこぼれ」をつくらないという目標は達成できない。宿題を中心とする家庭学習の充実であったり、ていねいな指導を旨とする習熟度別授業の継続的な実施などをしている。
  • 指導を終始一貫したものにするための教職員集団のまとまりがある。

 怒る指導、っていうのはけっこう新鮮。通常、「怒るのではなく、叱れ」とか言われるものですが。あえて「怒る」。なるほどなあ、と。あとは、「指導を終始一貫したものにするための教職員集団のまとまりがある」というのも、書くのは簡単だけど、実践するのってけっこう大変なことですよね。

大阪の「効果のある学校」の特徴を導き出そうとする試み(p.171-177)

  1. 子どもを荒れさせない
    • 荒れたら、学力向上どころではない。
    • 「しんどくなる前に、しんどいことをしておく」
  2. 子どもをエンパワーする集団づくり
    • 子どもの内なる力・ポテンシャルに気づかせる
    • 教師の指導性を通じてではなく、主として子ども同士の関係性を通じて達成しようと大阪ではしている。
  3. チーム力を大切にする学校運営
    • 教師集団のベクトルが一方向に揃うように。
  4. 実践志向の積極的な学校文化
    • Can-do culture、Can-do-better culture。
    • 「やればできるんじゃないか」という基本スタンスが学校に存在していることが大事。
  5. 地域と連携する学校づくり
    • 学校は地域社会に貢献するものである、という原点への立ち返り
  6. 基礎学力定着のためのシステム
    • 学力低位層を底上げするための手立てがふんだんにとられていること
  7. リーダーとリーダーシップの存在
    • 教師集団のなかのリーダー的存在が、全体にうまく目配りをし、管理職と協働しながら日々の学校運営を切り盛りしていく。

欧米の「効果のある学校」と比べると、大阪の「効果のある学校」には、共通点もあるが、対照的だと感じられるポイントがいくつかある。
第一の違いは、すでに述べた「校長」のリーダーシップの違いである。強力で、トップダウン型の欧米とは異なり、日本(大阪?)では、校長のリーダーシップはより柔軟であり、さまざまな形をとりうる。
第二の違いは、これもすでに述べたように、欧米の「効果のある学校」が学習指導・授業の側面を重視しているのに対して、大阪の学校では、先の1と2に代表されるような、生徒指導の側面が大変重視されていることである。「切る」ことをいとわない欧米の学校文化に比べ、日本の学校(少なくとも義務教育機関である小・中学校)においては、子どもたちを「切らない」(あるいは「見捨てない」)ことが美風とされてきた。これには賛否両論あるだろうが、今日においても、欧米型のクールな生徒指導の方針は、日本の学校にはなじまないように思う。欧米では、授業がすべてである。日本では、生徒指導の基盤のうえに授業が乗っかっているのだ。
第三の違いは、より潜在的なレベルで存在しているものである。欧米では、教育は、教師と子どもの一対一の関係をベースにして組み立てられている。イギリスの教師も、フランスの教師も、フィンランドの教師も、教室の子どもの数は、少なければ少ないほどよいと考えているはずである。しかしながら、日本の教師は異なる。授業をする際には、一定数以上の子どもがいた方がよいと考える。その方が、集団のダイナミクスが働き、充実した展開が生じやすいからである。すなわち、欧米が個人ベースなのに対し、日本では集団ベースで物事が発想されるという違いがある。2の「子どもをエンパワーする集団づくり」や3「チーム力を重視した学校運営」といった項目は、そうした日本の集団主義を基底として生み出されたものと位置づけることができる。(p.177-178)

 非常にいろいろな考えるきっかけをくれた本でした。もっともっと、考えていこう。

おまけ

 教育システムの紹介のところだったかで、日本の高校についての記述があります。

アメリカの人類学者T・ローレンは、かつて日本の高校システムを「巨大な操車場」にたとえた(T・ローレン『日本の高校』サイマル出版会、1983年)。多数の生徒たちを、基本的にその学力に応じてさまざまな高校に振り分け、異なる進路を割り当てる役割を果たしていると捉えたのである。(p.106)

 最近は減ってきているんじゃないかと思いますが、まあそういう面もたしかにあったかもなあ、と。

日本の高校―成功と代償

日本の高校―成功と代償