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日々、想う。んで、記す。

プライドを持たない、節操を持たない、愛着を持たない、弱音を吐かない。

斎藤環『ヤンキー化する日本』がおもしろかった!

 斎藤環『ヤンキー化する日本』を読了。ものすごくおもしろかった。ずいぶん前に、「自民党の政治って、ヤンキー的な考え方だ」と斎藤環さんがインタビューで言っていたのを聞いて、「たしかに!」と思っていたので、それ以来読みたかったのです。

 そもそも、では、ヤンキーとは何か?「マイルドヤンキー」とはまた違う言葉なんですけどね。

ヤンキー(p.9)
彼らが体現しているエートス、すなわちそのバッドセンスな装いや美学と、「気合い」や「絆」といった理念のもと、家族や仲間を大切にするという一種の倫理観とがアマルガム的に融合したひとつの"文化"、を指すことが多い。

 ポイントとしては、以下の6つが挙げられています。(p.11-12)

  • バッドセンス
  • キャラとコミュニケーション
  • アゲアゲのノリと気合い
  • リアリズムとロマンティシズム
  • 角栄的リアリズム
  • ポエムな美意識と女性性

 ああ、わかるわかる。という感じの事例が紹介されていきます。例えば、「アゲアゲのノリと気合い」については、以下のように。

ヤンキー美学の具体的な特徴とは何か。「気合いとアゲアゲのノリさえあれば、まあなんとかなるべ」である。冷静な施策や分析よりも、意気込みや姿勢を重視するスタイルだ。そこではほぼ「結果」は問われず、ただ現実に向き合う勢いのみが、ヤンキー的リアリズムの核となる。
いかなる困難な状況も「アゲアゲのノリ」と「気合い」で切り抜けられる、という、根拠のはっきりしない信念。ここでは特に「気合い」という言葉に注目してみよう。「気合い」は美学である。少なくとも、そのように考えられている。男であれ女であれ、気合いの入った人は美しい。なぜか。気合いこそは、一個人の限界を超えた力を発揮させてくれるパワーだからだ。
(略)
しかし「気合い」文化にはさまざまな問題があるのも事実だ。
最も問題なのは、気合い主義がそのまま根性主義、精神主義に繋がってしまう点だ。「気合いを入れれば限界を超えられる」という発想は、「大和魂があるから資源のない日本でも戦争に勝てる」という発想とかなり近い。これがさらにこじれると、「何もないからこそ、精神力で相手に打ち勝てる」という倒錯的な発想に至る。いずれも精神の力で肉体の限界はやすやすと超えられるとする発想が基本にある。そうした事態は、個人対個人ではありえたとしても、戦争においてはありえない。(p.18-19)

 仕事していても、こういう場面、ときどき出会いますからね…。

 それから、ポエムなところとかも。

そう、ヤンキーはポエムが好きだ。ポエムは情感を盛り上げ、気合いをもたらし、自らの正当性を信じさせてくれるなにものかだ。ポエムの良いところは、知識や論理とは無関係に、依拠すべき肯定的感情をもたらしてくれるところだ。同時にまた、ポエムは強力な共感装置でもある。ポエムへの感動を分かち合うことは、強い共感を通じて承認欲求を満たしてくれるだろう。(p.38-39)

 そして、政治家だってそもそもそういう言葉を使っている、っていうのが安倍晋三首相の言葉で紹介される。正直、国政については「それってどうやってやるの?」っていうのが全然見えなくて、残念な気持ちになることが多いのですが、もうよくわからんポエムな言葉でごまかされたくないなあ、と本当に思います。僕は読んでないけど、安倍晋三「瑞穂の国の資本主義」(『文藝春秋』2013年1月号)が例として挙げられています。

現場主義、行動主義、「いまここ」主義、個別主義、家族主義、そしてすべてを貫く「愛と信頼」主義。彼らが一様に言うところの「行動してみなければわからない」という言葉は「関係してみなければわからない」と言い換えられるし、さらには「関係しさえすれば何とかなる」という素朴な信念は、すでに反知性主義の芽をはらんでいる。
当たり前だが、彼らは決して知的水準に問題があるわけではない。しかし、知性よりも感情を、所有よりも関係を、理論よりも現場を、分析よりも行動を重んずるという共通の特徴ゆえに、知性への決定的な不信から抜け出すことができないのだ。(p.47-48)

 彼らってのはヤンキーのことなわけですが、この「行動してみなければわからない」っていうのは本当にきらいだなあ。でも、日本のヒーロー物とかドラマとかでも、「行動してみなければわからない」というところから、行動してハッピーエンドとか多いので、やっぱりそうした土壌があるのかなあ、と思ったり。
 そういうのを知りながら行動していくのが大切かな、と思ったりもします。


 ちなみにこのヤンキー化は、最近だけの話しじゃなくて、昔からなの?っていうのも、変り兜のことで紹介されています。なるほど…昔からそうなのね…。

ライターの橋本麻里さんの著書『変り兜』(新潮社)のイベントに呼んでいただいた際、「兜の形状はヤンキー的である」ことに気付いた橋本さんの慧眼からは、さまざまなヒントをもらった。「変り兜」で画像検索すればわかるが、ウサミミが異様に多かったり、水牛の角がついていたり、エビや蟹やサザエがくっついていたりと、目立つべく"様式の中で遊ぶ"センスにはヤンキー性に通ずるものがある。(p.14)

変り兜 画像 - Google 検索

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