日々、想う。んで、記す。

プライドを持たない、節操を持たない、愛着を持たない、弱音を吐かない。

司馬さんの心配は、いまも解消されない

司馬遼太郎街道をゆく(7) 甲賀と伊賀のみち 砂鉄のみち ほか』を読了。瀬戸内の辺りのくだりで出ていた、公と私についての部分、いろいろ考えたいと思った。

海浜も海洋も、大地と同様、当然ながら正しい意味での公のものであらねばならない。
明治後、Publicという解釈は、国民教育の上で、国権という意味にすりかえられてきた。義勇奉公とか滅私奉公などということは国家のために死ねということであり、戦後社会も、土地に関する暴慢な私権の上にのっかってきたため、公という、本来資本主義社会に当然の観念であるはずのものが、根づかずにこんにちにいたっている。
私が淡路島の漁業を見て帰ったあと、岡山県水島の三菱石油の重油が海にながれこんで、岡山、兵庫、香川、徳島の海が、汚染などというようなものでなく、生物の棲息を根だやしにしかねない事態をひきおこした。企業という私権の、公(人間の生存のための文化と人間の暮しをふくめての生態系を総称するものといっていい)への、憤る元気もおこらないほどの挑みかかりといっていい。
(略)
日本の社会は、資本主義さえうまくやれない病患をもっていることを、底の底まで掘りさげて考えこむべきときがきているのではないか。(p.263-264)

街道をゆく (7) (朝日文芸文庫)

街道をゆく (7) (朝日文芸文庫)