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アイデンティティが戦争を起こすし、戦争を止める(かも)

アマルティア・セン『アイデンティティと暴力 運命は幻想である』を読了。ノーベル経済学賞を受賞しているアマルティア・センが、「アイデンティティ」について書いている本。インドで暮らしていた時の飢餓体験や、ムスリムだというだけで目の前で殺されたカデル・ミアという人との出会いなどから、人が属する共同体やアイデンティティについて書かれた本。
戦争、紛争解決とアイデンティティを関連付けて考えるのは、実は大学の卒業研究でやったことなので、とても興味深く読みました。

実際、世界における多くの紛争や残虐行為は、選択の余地のない唯一のアイデンティティという幻想を通じて継続されている。憎悪をかき立てる「技」は、その他の帰属意識に勝る卓越したアイデンティティと考えられているものの魔力を利用するものとなる。このような手段は都合のいいことに好戦的な形態をとるので、われわれが普段もっている人間的な同情心や本来の親切心も凌駕することができる。その結果は、泥臭い粗野な暴力沙汰にもなれば、世界的に策略がめぐらされる暴力事件やテロリズムにもなる。
それどころか、現代の世界における紛争のおもな原因は、人は宗教や文化にもとづいてのみ分類できると仮定することにあるのだ。単一的な基準による分類法に圧倒的な力があることを暗に認めれば、世界中が火薬庫になる可能性がある。(p.7)

人は、「アイデンティティ」を持って、他者を敵と規定することで、紛争や残虐行為などをいろいろとできるようになってしまう。この「アイデンティティ」は恣意的に決められたり持たされていることもとても多いのだけど、多層的にアイデンティティを持つことができれば*1、平和に近づけるのではないだろうか、というのは、司馬遼太郎も言っていたり、鶴見俊輔が言っていたり、とても共感できる主張です。
そして、センが出した結論は力強い。

本書のテーマでもある人間の矮小化に抵抗することによって、われわれは苦難の過去の記憶を乗り越え、困難な現在の不安を抑えられる世界の可能性を開くこともできるのである。血を流しながら横たわるカデル・ミアの頭を膝に抱えながら、11歳だった私にできることはあまりなかった。だが、私は別の世界を、手の届かないものではない世界を思い浮かべる。カデル・ミアと私がともに、お互いがもつ多くの共通したアイデンティティを確かめられる世界を(かたくなに対立する人びとがその入口で叫んでいても)。なによりも、われわれの心が水平線によって二つに引き裂かれないように気をつけなければならない。(p.255)

Yes, we can do it. アマルティア・センの著作は、もっといろいろと読んでみたいな、と思います。尊敬できる知性だと思うし、刺激を与えてくれる人です。【→メモ:アイデンティティと暴力

アイデンティティと暴力: 運命は幻想である

アイデンティティと暴力: 運命は幻想である

*1:このあたり、コミュニタリアニズムの考え方をとるマイケル・サンデルと対立しているらしい。