日々、想う。んで、記す。

プライドを持たない、節操を持たない、愛着を持たない、弱音を吐かない。

こんな道徳の時間なら聴いたかもしれない…。

 平光雄『子どもたちが身を乗り出して聞く道徳の話』を読了。この本、とてもよかったです。

子どもたちが身を乗り出して聞く道徳の話

子どもたちが身を乗り出して聞く道徳の話

 紙芝居やイラストを使ったユニークな手法を駆使して、どんな子どもたちも夢中にさせてしまうプロ教師・平光雄氏。三十年以上の実体験から紡ぎ出されたとっておきの授業法を公開してくれた本です。

 紙芝居形式、携帯フレーズ、「どんなふうに伝えるのか」にもっと先生は関心をもつべき、というのはまったくそのとおりだと思います。
 以下、紙芝居形式、携帯フレーズについて書かれた部分をメモ。

ありきたりの勧善懲悪的な「よい話」は、こういう子たちの心へは入らないだろう。そうした話は聞く気持ちさえ持っていないかもしれない。もちろん、長話は無駄だ。そのため、まずは教師が「言葉の節約」をせねばならない。くどくどしいのは駄目だ。「少ない言葉でありながら、確かな効果がある方法」が必要だと思った。
それらを前提とした創意工夫が必要だった。
そこで、立て直しの方策を必死に考えた。
その結果生まれたのが、本書に登場する「紙芝居」であり、「携帯フレーズ」だった。絵でイメージを残し、短フレーズで徳目を日常的に意識化させるという方法である。(p.1-2)

 道徳の時間が、「どうせこういう答えを言わせたいんでしょ」的な答えを言って切り抜けてきたもので、まさしくこういう工夫を先生がしてくれていたら違ったかなあ、とか思いながら読みました。

世の道徳に関する議論の中心は、「何を」伝えるかということであり、「どう」伝えるかということに対する関心が低いように見える。
教師としての現場での三十余年の経験から、いくら内容的によいもので、相手にとって大切だと思われる内容であっても、「伝え方」がまずければ伝わらないし、ましてや心に残ることはないといえる。
教師や親や祖父母が、いくら「道徳的なよい話」をしても、子どもたちの心に伝わり、心に残らなければ意味がないのである。
伝わらない、残らないのは、伝え方が子どもの心にフィットしないからであり、心をえぐらないからである。
「伝わる」ため、「残す」ための創意工夫がいるのである。
ゆえに、道徳教育ではないが、たとえば仏教などでは、古来、その難解ともいえる教義を広く民衆に伝えるために、比喩や物語化や図式化や短フレーズ化などの創意工夫を重ねてきたのである。
そうしたことも、「紙芝居」や「携帯フレーズ」を考え出す上で、大いに参考になった。(p.3)

 実に、実に、おもしろいですね。先生たちにたくさん読んでもらいたい本だな、と思いました。