日々、想う。んで、記す。

プライドを持たない、節操を持たない、愛着を持たない、弱音を吐かない。

webで日記を書くということ

最近、教えている子と一緒にネットをぶらぶらしていると、こんなページを見つけました。SFCで日記を書いている人たちの更新記録が並んでいて、どれでも読める、というものですね。SFCって、レポートとかでホームページを作るので(僕の頃はまだそういうのはなかったけど、一学年下からは必修のはず)、こんなにたくさんの日記が出てくるわけです。中には僕の同級生の名前も、もう卒業している人の名前も、先輩の名前も、後輩の名前もある。何だかとてもうれしいですね。
僕も大学生の頃、ホームページを作っていました。このページのコンテンツの一部であるタイ日記は、その頃に作っていたものです。だから、今あるのは入力し直したもの。ずいぶん長い間、SFCのドメインの下で書いていた日記はすべて消滅してしまったけど、今、あらためて読み返してみたい気もするな。
ウェブで日記を書くということに、とても否定的な人がいます。「何の才能もない人が、ただ日常をだらだらと…」って。僕はそうは思わない。今までただの「誰か」でしかなかった人が、日記というプライベートメディアを持てるということ、これ自体がインターネットの大きな可能性だと思うから。もちろん、質にはいろいろ差があるだろうけど、それは普通のメディアだって一緒だ。発信できることって、すごいことだよ。かく言う僕も、こんな日記書いてるけどさ。はたして、この日記にはどれくらいの人が価値を認めるかな?でも少なくとも、僕はこの日記を読み返して、この瞬間に書きたかったことを書けて、自分をあとで省みることができる。これはすごく大きなことなんだ。
大学の頃に受講した今福龍太先生(この人の本はほんとうにおもしろい。『クレオール主義』は大推薦)の授業で、安部公房が亡くなって、フロッピーディスクが出てきてその中に原稿が入っていた、というエピソードがあったっけ。ワープロで書く作家が増えてくると、こういう形で遺作が残るケースって増えてくるんだろうな。僕はこの日記を人が読むことを前提に書いている。人には読まれたくないことは、別に紙で日記につけていたこともあった(今はそんなことする時間ないからしてないけど)。高校1年生から大学4年生まで、この日記は続いている。7年間でノート3冊。毎日書くときもあったし、数ヶ月飛んでるページもある。でもでも、今読み返すととても貴重なノート。女の子のことと、部活のことしか考えていない時期、逆に自分のことしか考えていない時期、鬱々としている時期、いろんな時期が読めてくるから。もちろん、そうした感情を、人が読んでどう思うかはそれぞれだから(それ以前に人に見せないけどね)、わからないけどそれは僕が読み返したときには少なくとも価値を持つ
この日記も、誰がどんな価値を置いてくれているかはわからないけど、少なくとも僕自身には価値があり、中学校のとき以来ほとんど会っていない友達と(まだネット上だけだけど)再会を果たさせてくれた。それだけでも、感謝感謝