確率なんて要らない、ということはない
小島寛之『使える!確率的思考』を読了。確率、大嫌いでした*1。全然計算式の意味が分からなくて、毎回すべてのケースを樹形図で書いて、何通りかを数えてテストに回答していました(なのに、まちがってたりした・笑)。当時は、「こんなもん役に立たない」と思っていましたけど、全然そんなことない。仕事をするようになって、えらく確率的な部分とか見通し的な部分とかってつかわなきゃならないのですから。そんな意味で、筆者の以下の意見にすごく同意。
この本は、「学校の確率ができるようになる」ためには、きっと役に立たないだろう。でも、よく考えてほしい。あなたが大人なら、どうしていまさら「学校の確率ができるようになる」ことが必要なのだろう。だって、あなたが毎日通っているのは、学校ではなく実社会なのだ。たとえていうなら、学校の給食で、ある食材が嫌いになった大人が、もう一度教室に出向いて給食を食べて、それを克服しようとしているようなものではないか。それはどう考えたってばかげている。大人には、大人の分別と教養とお金と味覚がある。大人には大人のやり方があるじゃないか。
断言しよう。学校で教わる確率の大部分は、受験にしか役に立たない。人生でそれ以外に使える場面は皆無だといっていい(もちろん受験は、人生の重要なステップだ。だからあなたがこれから受験を迎える人なら、どうにか確率嫌いを克服しなければならない)。でも、学校では教わらなかった「確率的なものの見方・考え方」は、人生を生きる中ですごく役に立つのだ。一生もので使えるのだ。(p.10)
小島さんの言っていることは、例がすごくわかりやすいこともあるけど、いろいろと考えるとっかかりとしていい。こういう事例をうまく使って、確率の話をすればいいのか、と勉強になりました。情報解析と確率と将来の見通し、みたいなものを組み合わせた授業をするときに使えそうかな、と思いました。小島先生の本は他にも当たってみようと思います。[→blog@Yui 使える!確率的思考]
- 作者: 小島寛之
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2005/11
- メディア: 新書
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*1:ていうか、数学全般が大嫌いだっただろう?というツッコミはNGです