日々、想う。んで、記す。

プライドを持たない、節操を持たない、愛着を持たない、弱音を吐かない。

東北地方太平洋沖地震

東北地方太平洋沖地震。僕は北海道の新千歳空港にいました。PM5:30のフライトで帰ろうと思っていて、おみやげを買い、コンビニにいるときに大きな揺れ。近くにいるおじさんと「大きいですね…」と顔を見合わせて言う。空港スタッフ、航空会社スタッフもびっくりしている。天井から吊られている看板とかミシミシいってる。すぐネットをiPhoneからチェックすると、震源や大きさがわかる。「これは…」と思い、ニュースが見られるモニタを求めて歩き回わる間にまた大きな揺れが何度も。ニュースの画面を見ると、津波の警報・注意報が表示されている。「大津波警報」、という見慣れない言葉。みんな緊張はしている顔ではあるけれど、どちらかと言えばまだいつもの大きな地震、くらいの危機感。
その後、だんだんといろいろなことがわかるようになってくる。が、僕は便が遅れることはあっても帰れるだろう、くらいに思っていたので、チェックインのために列に並ぶ。残り5人くらいになったところで、その後のほぼすべてのフライトが欠航決定。
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翌日の席があるいちばん早い便にチケットを振り替えて、とりあえず札幌まで戻ることに。その間、iPhoneとPC(イーモバイルでネット接続)をしながら、りえすけとメールでやり取り、東京にいる社長から安全確認の指示が出て、安全確認のためのメールの送信などをする。電話はすでにまったくつながらない状態だけど、メールだけでもつながるのはありがたかった。オフィスの方も、みんなでビルの外に出て避難だった様子。メールは時間が経つに連れて遅れて届くようになってきたけど、Twitterとacebookは正常。東京の方がどんな様子なのか、など刻々とTLが更新されていって、把握ができた。これはとても助かった。
その後、iPhoneの電源がなくなり、ノートPCの充電も切れたので、残されたiPadで宿泊予約をして、どうにか札幌の宿に。この時点でPM8:00をまわっていた。そこで初めて報道を見て、どんな様子だったのかを知った。りえすけと初めて電話がつながったのもこのくらいの時間。本当にホッとした。自宅@横浜市都筑区は停電していたので、車で長男S氏と一緒に実家に帰る、とのこと。こちらの無事も伝えて、とりあえず明日戻ることだけ伝える。
横浜で勤めている弟とも連絡がとれたし、両親とも連絡がとれ、ひとまず身内の消息はわかった。これだけでもずいぶんホッとするものだった。Twitterを眺めていれば、無理に帰宅しないように政府から通達が出ていたし、オフィスの仲間たちもほぼオフィス泊まりだった様子。池袋のチームはサンシャイン60の中だったわけで、怖かったろうな。
今回、こうして自分だけ北海道にいて、あとの家族は関東地方、というのは、実は心配することだけしかできなくて、もどかしかった。自分がたまたまここにいて、元気でいられたのは、ただの偶然。なんだか、いろんなことを想像してぐるぐるしてしまった夜。まずは早く東京に帰って、家族に会いたいな、と思ってた。