日々、想う。んで、記す。

プライドを持たない、節操を持たない、愛着を持たない、弱音を吐かない。

史上最強の内閣

室積光『史上最強の内閣』を読了。『都立水商!』もそうだけど、こういう荒唐無稽なストーリーがおもしろい、室積光さん。突如現れた特別法規的な内閣を描きます。途中で、総理や閣僚たちが語ることは、「そりゃそうだ!」と思うこともある。本筋よりもそちらの方がおもしろいね。インテリジェンス機構のボスが忍者の末裔だったり、遊び過ぎ。でもそれが好き(笑)
ストーリーにかこつけて、言いたいこと言ってるだけじゃね?っていうところも多いのだけど、それもいい。まず、文部科学大臣の談話:

「子供たちにスポーツをさせて一番いいことは何だと思う?」
(略)
「それはな、子供たちが恥をかくことを覚えるってこった。人生は恥かくことの連続だぜ。恥をかくことを恐れていたら進歩はないな。大人が子供の恥かくチャンスを取り上げたらまずいだろう。恥かいて努力して、上手になって褒められる。上手な他の子を尊敬する。スポーツだけとは限らないわな。私はね、中学三年間で男女問わず、いろんな物作りをさせたいと思うんだ。そうだな、自分で使う家具。自分の着る服。食べる料理。芸術でいうと自画像。音楽では一曲でいいから作詞作曲。それと短くていいから小説。へたくそでいいんだ。不恰好なもの作って恥かきゃいいよ。でも、中には意外にいいものができることがあるかもしれねえな。あるいは子供が自分の好きなモノを見つけるかもしれん」
小松は聞いているうちに胸が熱くなってきた。そんな中学校から楽しそうだ。
「勉強が出来るってことだって、いいことなんだぜ。勉強が好きならどんどん上のレベルを目指せばいいのさ。誰も彼も大学に行くのが平等だとは思わねえな。勉強嫌いな人間に二十歳過ぎまで勉強させて、学歴が大事だなんてのは馬鹿な話だ。親が自己満足で金だけ出して行かせた三流大学と、入試の難しい国立大学を同じに扱えってのは虫がよすぎるってんだ」

続いて、総務大臣とのやりとり:

高杉総務大臣は言う。
「『サザエさん』はのう。昭和21年から新聞連載が始まったんじゃ。終戦の翌年じゃのう。小松くん、サザエさんの家族を知っちょろう?
「はい」
「家族の中で男というと?」
「えーと、波平さん、カツオ君、マスオさん、タラちゃん…ですか?」
「そうじゃ、サザエさんの家には彼女のお父さんと弟、夫と息子がおる。これはのう、あの戦争で日本の多くの女性が失ったものなんじゃ」
「!」
小松はハッとした。確かに当時の日本には父を、弟を、兄弟を、そして息子を戦争で亡くした女性がたくさんいたであろう。
「サザエさんは当時の日本女性が失った者すべてに囲まれちょる幸せな人なんじゃ。人々には彼女の幸福が眩しかったに違いない。そして現在でもサザエさん一家は愛されちょる。わしが言いたいのはこういうことじゃ。一部の人々は今にもこの国が軍国主義国家に逆戻りするような寝言を、海外にまで広めようとしちょる。じゃがのう、憲法9条がのうても、サザエさんが日本人に親しまれるかぎり、この国は戦争の道を選びやせん。『サザエさんの幸福』を日本人が手放すはずはない。わしはそう確信しちょる。それほど深く反戦の思いは日本人の心に刻まれておるんじゃ。理屈じゃないけえ」
(略)
かつて選挙権を持たなかった日本の女性は、国家権力によって身内の男を戦場に駆り出された。ひどい話だ。選挙権を持たない母親が、選んだ憶えのない政府に息子を奪われ、戦死公報一枚と引き換えにされたのだ。
これは知識としての歴史ではない。記憶だ。個人に収まらない、家族の、いや民族の記憶だ。

このあたりのやりとりだけでも、楽しめるよ。『サザエさんの幸福』か、おもしろい。たしかに、それは理屈じゃないね。
しかし、ここまで腹くくっていろいろやる内閣だと、多少「それは強引なんじゃ…」と思っても、託してみたくはなります。小泉内閣のすごかったところって、そういうところだと思うのだよね(いろいろ言われてもいるけどさ)。個人的には、河野太郎さんにエラくなってもらいたいと思ってます。うん、期待している。

史上最強の内閣

史上最強の内閣