日々、想う。んで、記す。

プライドを持たない、節操を持たない、愛着を持たない、弱音を吐かない。

エリートがいるよな

和田秀樹『エリートの創造』を読了。責任を持って、何かを決める。何かを犠牲にしたりするリスクをとらなきゃいけないけど、でも何かを決める。決める人はその分、経験や知識を持っていなければいけないと思う。でもそういうエリートを育てなきゃいけないんだと思う。「政治家になりたい」というクラスメイトを「ひゅ〜♪」と冷やかすのではなく、「そりゃすげえな」と言えちゃうような文化が必要だと思う。(松下政経塾って、もしかしてそんな雰囲気なんだろうか?)
灘校を出た和田秀樹さんは、灘校の文化を述べて言っているんだけど、こういう文化を持っている学校って貴重だと思うのだよね。

日本という国には、勉強のできる人間に対して、敬意を払うというより、どちらかというと性格のおかしな奴とみる雰囲気がどことなくある。できる人間のほうも、自分はエリートなのだという自負より、周囲から特別に敬意を払われていないのだから実利に走る部分があることは否めない。周囲がエリートとみなして敬意を払っていると、こちらも悪いことはできないという感覚が出てくるからだ。
実は、私が灘中学の生徒だったときは、そんな感覚があった。
(略)
アメリカ留学経験で感じたことだが、向こうの名門大学の卒業生は、自分たちの出身校に誇りをもっているし、むしろ堂々と名乗る。それに対して、聞く側も敬意を払う。それが逆に高学歴者の自負心を強めるという好循環が成立しているのだ。(p.58)

イギリスのブレア元・首相が、若い頃から政党の秘蔵っ子として育てられたように、みんなでエリートを育てる、社会に責任感を持つ次世代を幅広く、たくさん育てるってことは、非常に大事なことだと思う。[→メモ:エリートの創造]