日々、想う。んで、記す。

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クール革命 ソーシャルの使い方

ティナ・ローゼンバーグ『クール革命 貧困・教育・独裁を解決する「ソーシャル・キュア」』を読了。この本の中で取り上げられている、セルビアで反ミロシェヴィッチの運動を、オピニオンメーカーを作る方法で進めた「オトポール!」*1という組織がクール。「オトポールはクールな組織だ」という強烈な印象を与えるように活動。いかに運動を作っていくか、という点でいろんなアイデアがありそう。ミロシェヴィッチ政権崩壊後は、政党になるも、その後は存在感を示すことができず…。こういうのって、『動員の革命』でもあった、組織のライフサイクルとかにも通じるのかも。
オトポールに圧倒的なストーリーを与えることになったと思われるエピソードが以下のもの。すごい。

なんといってもオトポールの活動として語り草になったのは、西暦2000年を迎える大晦日の活動である(セルビアはよそとは違うカレンダーを採用しているので、新年は1月13日に当たる)。オトポールはベオグラードの中心部にある国立博物館の前でロックコンサートを企画した。大晦日のベオグラードには毎年、全国から大勢の人が集まってくる。新しいミレニアムを祝うために集まった約3万人の群衆は、夕闇が迫るとセルビアのロックバンドの演奏に聞き入り、「セルビアを救え。スロボ[ミロシェヴィッチ]、くたばれ!」といっせいに叫んだ。年が明けたら人気バンドのレッド・ホット・チリ・ペッパーズが登場するという噂も流れた。巧妙なオトポールは、それを肯定も否定もしなかった。
午前0時になった瞬間、ステージは真っ暗になった。そしてレッド・ホット・チリ・ペッパーズの演奏の代わりに、悲惨な一年をテーマにした短い映画が上演された。映画には、コソボセルビア人とアルバニア人が殺されている場面が登場した(どの映像もフィクションである)。そしてステージの外から深みのある声が響き渡り、実際に命を落とした人たちの名まえが読み上げられた(声の主はボリス・タディッチという民主党の国会議員だったので、こうした行動をとっても法的に罰せられる心配がなかった。当時地下に潜伏していたスルジャは、タディッチのアパートに滞在していた。2004年、タディッチはセルビアの大統領に選出される)。その後、声がつぎのように語った。「きみたちには新しいミレニアムを祝う理由がない…さあ、帰れ」
群衆は真っ暗闇のなかに立ち尽くし、つぎの展開を待った。しかしイベントは本当に終了し、まもなく全員がゆっくりと家路についた。オトポールがこんなまじめな活動を行うのは、はじめてだった。その後、セルビア人は何ヶ月もこのイベントについて語り合った。多くの若者はこのイベントをきっかけに、オトポールに参加するのも悪くないかもしれないと真剣に考えるようになった。(p.319-320)

若者をこうして運動に参加させていく、巻き込んでいくのって、とっても大事だと思うのです。「どうせ、世界は変わらない」と思っている若者を巻き込むためにどういうことができるのか、ということを考えていきたい。日本の不良グループも、体制に反逆するなら政府レベルに反逆、みたいな方向になったりすればいいのに。オトポールに参加している若者たちは、学校でクールに見られていただろうし、それと同じようにさ。それはちょっと単純すぎるか?
政治のことを考えて、声をあげることがカッコよくなるように、仕掛けられればいいのにな、と。【→メモ:クール革命

クール革命―貧困・教育・独裁を解決する「ソーシャル・キュア」

クール革命―貧困・教育・独裁を解決する「ソーシャル・キュア」

*1:=「抵抗」という意味