日々、想う。んで、記す。

プライドを持たない、節操を持たない、愛着を持たない、弱音を吐かない。

仏像とか大好き

話は突然変わりますけど(いつものこと)、人から言われたのだけど、僕は本を読むのが好きです。昔は漫画しか読まなかったけどね。高校3年生になって、小論文が試験科目にあることを知って、図書館にある岩波新書を端っこから読んだのが始まりで好きになりました(自分でもびっくりした)。図書室の司書の先生にも、週に2回くらい借りに行ってたから顔を覚えてもらって、図書室が何だかとても居心地が良かったのは覚えている。それに、担任の先生も和歌とか古文に造詣が深かったから、そういう影響もあるんだろうな。eペーパーとかいろいろできるようになりますけど、本という形態はなくならないのだろうな。家に本がたくさんあったのも良かったな。やっぱりそういう環境って大切だ。 家庭の環境と言えば、本だけじゃなくて、家族の影響も大きい。例えば、僕がすごい仏像とか見るの好きなのも、母親の影響。母がわからないなりにいろいろな話をしてくれたり、連れて行ったりしてくれたから
「なんで好きなの?」っていうのもよく聞かれますが、仏像や古刹を見ていると、「ずっと昔にもここにいて祈りをささげていた人がいたはずだ」という感覚を持てるんだよね。それが半分くらいの理由です、つまり歴史を感じられる、想像できる場所だから。もう半分は、仏像が綺麗/かっこいいから(みうらじゅんといとうせいこうの『見仏記』みたいだけどさ)。ま、とにかくこういうことに興味を持つきっかけをくれて、その興味の目を育んでくれて、その目に飽きることなく養分を注いでくれた(=素人の質問に根気よく応えてくれた)、母に感謝。どうもありがとう。
ところで、どうして仏像やらなにやらの本が出てきたかというと、今読んでいる本が、こうしたことにも関わる歴史ミステリーだからです。で、そこに百人一首やら、古今集やら、お寺の名前、豪族の名前がたくさん登場してくるわけです。詳しい内容はまた読み終わったときに。あと80ページ、ミステリーの謎解き部分を残すのみです。生き返り(あ、誤植だ。でもおもしろいからいいや、本当は行き帰り)の電車でしか読めないので、明日で終わるかどうかは微妙なところだな。