いろんなモードの中で自分に近いもの
朝、早起きして江國香織『赤い長靴』を読了。結婚して10年の夫婦の話。はるるは、「似ていない」と言ってくれたけど、僕には間違いなく逍ちゃん(旦那ね)みたいな面がある気がする。「楽しいなら楽しそうにして」と言われたことはさすがにないので、原因は全然違うだろうけど。
自分の周囲に膜を感じる、という逍ちゃんの感覚、けっこう僕もそうかもしれない。そういう人格もあるなあ、と。いや、根っこからどっぷり楽しめる人格もあるんですけどね。それは、オフィスで仕事をしている自分と教室で先生をしている自分の違いかもしれないなあ、と思う。
人にはいろんなモードがインストールできると思っている。望むものと望まないものとがあるとは思うけど。僕は、高校生の頃から、友達といることがすごく楽しくなった。それまでとは全然違うくらいに(だって、それまではネクラだったから)。高1のときにハンドボールをいい仲間たちと始めて、仲間と楽しむモードがインストールされちゃったに違いない。大学生の頃には、人の前で話すことが好きなモードが(教育の成果で?)インストールされた。それから今の仕事をするようになってから、明るくふざけて笑いを子どもたちの前でとるモードを新しく(自分から進んで)インストールした。
でも、自分のいちばん根っこにあるOSみたいなところのモードは、実は逍ちゃんモードなのかな、と思った。僕、誰かとしっかり結婚なんてできるんだろうか?日和子さん(奥さんね)みたいな人、いるんだろうか?と不安になった。あ、でもその不安についても、自分のやれる範囲でやるしかないでしょ、と開き直っちゃう、それが僕のOSな気がする。
- 作者: 江國香織
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2005/01/15
- メディア: 単行本
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