日々、想う。んで、記す。

プライドを持たない、節操を持たない、愛着を持たない、弱音を吐かない。

自分は何によって憶えられたいか

P・F・ドラッカー『プロフェッショナルの条件 いかに成果をあげ、成長するか』を読了。どんだけ本を出しているんだドラッカー、の本(笑)ひさしぶりに読みました。ドラッカーお得意の組織論ではなく、個人のあり方についての本でした。非常におもしろかった。最近はやりのライフハックに非常に近いこともたくさん言っているなあ、と。優先順位を決めることよりも、劣後順位を決めるべきだ、というのは非常におもしろい。何をしないのかを決めることが大事だ、ってことね。
「自らを成果をあげる存在にできるのは、自らだけである。他の人ではない。したがって、まず果たすべき責任は、自らの最高のものを引き出すことである。それが自分のためである。人は、自らがもつものでしか仕事ができない。しかも人に信頼され、協力を得るには、自らが最高の成果をあげていくしかない。(p.228)」というメッセージも、いいですね。
それと、教育に携わる人間としては、次の記述はガツンと来た。

私が13歳のとき、宗教のすばらしい先生がいた。教室の中を歩きながら、「何によって憶えられたいかね」と聞いた。誰も答えられなかった。先生は笑いながらこういった。「今答えられるとは思わない。でも、50歳になっても答えられなければ、人生を無駄にしたことになるよ」
長い年月が経って、私たちは60年ぶりの同窓会を開いた。あまりに久しぶりのことだったため、初めのうちは会話もぎこちなかった。するとひとりが、「フリーグラー牧師の質問のことを覚えているか」といった。みな覚えていた。そしてみな、40代になるまで意味がわからなかったが、その後、この質問のおかげで人生が変わったといった
今日でも私は、この「何によって憶えられたいか」を自らに問い続けている。これは、自らの成長を促す問いである。なぜならば、自らを異なる人物、そうなりうる人物として見るよう仕向けられるからである。運のよい人は、フリーグラー牧師のような導き手によって、この問いを人生の早い時期に問いかけてもらい、一生を通じて自らに問い続けていくことができる。(p.234)

僕は何によって憶えられたいだろうか。憶えられたいことを明確にして、そのためにどのような成長をしようとしているだろうか。長男S氏や、たくさんいる直接/間接の教え子の中でこういうふうに僕が死んだ後ででも、こうして「ああ、あんな質問されたよね」「あんなこと言われたよね」と懐かしく思い出されるような、そんな人に(教育者の端くれとして)なりたいと思った。ああ、がんばろう。[→blog@Yui プロフェッショナルの条件]