日々、想う。んで、記す。

プライドを持たない、節操を持たない、愛着を持たない、弱音を吐かない。

保守という思想

芹沢一也荻上チキ『日本思想という病』を読了。メルマガを絶賛積ん読中(残念だ…)なSynodosの本。中島岳志片山杜秀高田里惠子、植村和秀、田中秀臣の5人がそれぞれの観点から日本思想を語る。興味があったのは、「保守」という概念についての部分。「保守」は「守旧」ではない、ということ。このあたりの言い換えを上手にしたのは小泉純一郎だったのかなぁ、という話をこないだオフィスでtakaさんとしていたのだけど。

もちろん、保守の中には、「古くから続くもの」の中に、歴史の潜在的英知を見出すという側面があります。しかし、単純に「古い時代に戻ればいい」なんてことを、保守思想では主張できるはずがありません。
なぜならば、古い時代の社会も、当然のことながら不完全な人間が構成してきたものであり、完全な理想社会などではなかったからです。ですから、「古きよき時代に戻ればいい」なんて単純な理屈を、保守思想では唱えることはできません。「古きよき」とされる時代にも、さまざまな課題が山積していただろうことを、保守は冷静に凝視します。
つまり、保守は「反動」でも「復古」でもありません。社会変化に対応しながら、「保守するための改革」=「漸進的改革」を進めていくのが保守の姿勢です。この点は、保守を理解する際に、非常に重要な要素です。(p.23)

あと、「保守」という言葉で思い出すのは大学時代の友人・真一かな。とびっきり優秀で、ちょっとシニカルで。西部邁とかをよく読んでいて。保守思想なんてものを考えたことがなくて、「新しいもの」を一生懸命取り入れようと背伸びしがちだった自分にいろんなことを教えてくれた彼は、きっとこういう「保守」の考え方をしていたのかもなぁ、と思ってしまった。
日本の政治状況が何だか残念なことになっている今、「保守」にまつわる、こういうさまざまな思想をインプットしておきたいな、と思うのです。[→メモ:日本思想という病]

日本思想という病(SYNODOS READINGS)

日本思想という病(SYNODOS READINGS)