日々、想う。んで、記す。

プライドを持たない、節操を持たない、愛着を持たない、弱音を吐かない。

数学がおもしろくはならなかったが、岡潔という人に出会えた

桜井進『面白くて眠れなくなる数学』を読了。教科書の数式は「絵」として扱われている、という著者の主張は同感です。まったく、内容として入ってこないものなあ。「絵だから読めなくていい」と思っているのも、たしかに!と思わされます。でも、「面白くて眠れなくなる」までには至らなかったです…すみません(苦笑)

面白くて眠れなくなる数学

面白くて眠れなくなる数学


それよりも、後半で紹介されていた教育者・岡潔さんの方が衝撃的だった。今までまったく知らなかった人だから。この人の言葉に出会えただけでも、この本を読んだ価値は十分にあったな。【→メモ:面白くて眠れなくなる数学
以下、岡潔の『春宵十話』から紹介されている部分を。

学校を建てるのならば、日当たりよりも、景色のよいことを重視するといった配慮がいる。しかし、何よりも大切なことは教える人のこころであろう。国家が強権を発動して、子供たちに「被教育の義務」とやらを課するのならば「作用があれば同じ強さの反作用がある」との力学の法則によって、同時に自動的に、父母、兄姉、祖父母など保護者の方には教える人のこころを監視する自治権が発生すべきではないか。少なくとも主権在民と声高くいわれている以上は、法律はこれを明文化すべきではなかろうか。
いまの教育では個人の幸福が目標になっている。人生の目的がこれだから、さあそれをやれといえば、道義というかんじんなものを教えないで手を抜いているのだから、まことに簡単にできる。いまの教育はまさにそれをやっている。それ以外には、犬を仕込むように、主人にきらわれないための行儀と、食べていくための芸を仕込んでいるというだけである。しかし、個人の幸福は、つまるところは動物性の満足にほかならない。生まれて60日目ぐらいの赤ん坊ですでに「見る目」と「見える目」の2つの目が備わるが、この「見る目」の主人公は本能である。そうして人は、えてしてこの本能を自分だと思い違いするのである。それでこのくにでは、昔から多くの人たちが口々にこのことを戒めているのである。私はこのくにに新しく来た人たちに聞きたい。「あなた方は、このくにの国民の一人一人が取り去りかねて困っているこの本能に、基本的人権とやらを与えようというのですか」と。私にはいまの教育が心配でならないのである。(p.199)

読んでみよう。

春宵十話 随筆集/数学者が綴る人生1 (光文社文庫)

春宵十話 随筆集/数学者が綴る人生1 (光文社文庫)