Lifeを聴いてて思った、学校が持つ「場」の意味
朝の通勤電車の中で、文化系トークラジオLifeのPodcast「勉強し続ける社会」を聴いていた。先週の日曜日に放送されていたもの。翌週の水曜日(放送から3日後)から、順次Podcastでアップされるので、放送の翌週の朝はだいたいLifeを聴いている感じ。で、今日聴いていたのは外伝Part2で、放送終了後のトーク部分だったのだけど、ものすごくおもしろかった。
大澤聡さんが紹介していた坪内逍遥27歳と二葉亭四迷22歳が出会いのところ。2人が風呂屋で会って、漱石「あれ二葉亭じゃね?」って話しかけ、それから語り合うことで生まれる動き、みたいな説明、おもしろすぎる。(この部分、青空文庫で読めるみたい↓)
下記で紹介した夏目漱石と二葉亭四迷(=長谷川辰之助)の風呂屋での遭遇は、漱石「長谷川君と余」(→http://t.co/nilPF0lr60)など参照。中盤の「ところがある日」の段落です。#life954
— 大澤聡 (@sat_osawa) November 7, 2013
自分でもなんであんなバカっぽい解説になったんだか…(笑)。RT @skashu #Life954 漱石「あれ二葉亭じゃね?」「漱石そんなチャラくないよ!」ふいた
— 大澤聡 (@sat_osawa) 2013, 11月 7
なんか、こういう出会いを与えられる場って、学校の大事な機能なのだと思うのです。まあ、漱石たちの話は、学校ではないけれど、でもこういう出会いって学校は生徒たちに与えられやすいと思うのです。っていうか、場だけ作っておいて、あとは学生たちが勝手に出会う、という方が近いのかもしれないけど。
学校を中心としたコミュニティが、こういう刺激的な出会いの場になったらいいな、と教育現場にいる者として思う。熱意ってやっぱり伝染るもんだし、近くにいるからこそ生まれるいろいろってあるのだと思うのです。だから、反転授業だけになるなんて未来は考えられないしさ。
で、その学校での「場」の役割のところで、国際教養大学と立命館アジア太平洋大学(APU)の話が出てきて、そのどちらも、全寮制で24時間キャンパス、というのが紹介されてた。夜中に友達と議論してて、「ちょっと調べに行こうぜ!」と言える環境。すごいわかる。SFCでの夜間残留も、そんな空気だったなあ。きっと、ベンチャーの深夜のオフィスも似た感じなのでは、と思う。
そう、こういう場を作ることが、学校の大事な役割なんだと思います。あー、なんか、もっと学校現場にガッツリ入りたいなあ。または、教室を自分たちで持ちたいなあ、と思ってしまった。
【修正】
最初のアップの時、漱石たちが帝大で出会ったように勘違いしてた。違った。2人は同じ朝日新聞社にいたのでした。ということで、書き直した。